訪問4コマ漫画51「テクノロジーの進歩と先人の知恵」
10月は色々なイベント事があった。
その中でも国際福祉機器展は、普段リハビリに従事している私は、ドラえもんの『ひみつ道具』を見つけるが如く、便利なもんないかなーと思うわけで。
訪問業務に従事してまぁまぁ時が経つが、最近のテクノロジーの進歩には本当にすごいなーと思う事も多い。
私が理学療法士になりたてホヤホヤのころは(うん年まえのことよ‼︎)頸髄損傷の方の環境制御装置を当時一緒に働いていたOTの方が息を吹きかけてリモコン操作する物を作って、『へぇ〜すごいなー。』と感心したのを覚えているが、いまや声ひとつ『OK Google』や『アレクサ〜』であらゆることが操作できるんだから、おったまげ〜と過去の自分は声を上げるだろう。
テクノロジーの進歩はあったらいいな。を実現し、『こ、こんな発想が!』と驚く商品も沢山開発されており、ワクワクが止まらない。
さて、道具を使うことのメリットは多々あるが
その一つに
①即時効果が得られること。
があげられる。
簡単な例を挙げると
手すり一本つけるだけで階段が安全に昇り降りができること。
筋肉をつけて安全に!と思うとちょっと時間がかかりすぎる。
二つ目に
②サービスの標準化ができる!
ということも大事だ。
介護現場において技術の差は経験年数や体格差によってバラツキがあり、どうしても人によって提供できる技術の質、量に差が出てしまうのも致し方ないところで。
それが道具を使えばどうだろう。
誰が行なっても同じサービスが提供できるということは安全面の確保や人手不足の問題の解消にも繋がるのではないかと。(もちろんケースバイケースもありますけどね!)
福祉用具とはかけ離れるが、先日とある駅のトイレを拝借した際に、トイレの壁に『スマホから簡単に清掃のリクエクト』と張り紙が貼ってありその下にQRコードが。そのコードを読み込むと、清掃の依頼や落とし物の連絡など選択肢があるページに飛んだ。
確かに公共のトイレを利用した時に『あれっ』と思ってもついつい見過ごしてしまいそのままになっているトイレがある。今の時代みんなスマホ持ってるから、それで連絡したらすぐ様に清掃してもらえ快適な環境が維持できる、なんとも画期的でなんで今までなかったのかと思うくらいだ。
とまぁ、道具の進歩、テクノロジーの進歩にはこれからも可能性があるなとつくづく思うわけで。
そんな中、とあるお家で利用者家族と『栗』について熱く語り合う場面があった。
わたしが
『栗は好きだけど、しっかり渋皮まで綺麗にしてからもらいたい!』
なんて横柄な主張をすると、
ご家族はのそのそを台所に行き、
あれこれと道具を出してくるではないか?
『これはね、使いやすいけど切れやすいから注意だね』
『これつかって、こーすると簡単に剥けるよ。』
と。
使い古されな道具は年季と哀愁漂う風貌。それを使って向いた栗はさぞ味に深みを増すのではないかという期待さえも抱く道具と、家族の語り、説明であった。
そう、その時、私は栗から忘れていたことを思い出す。
ついつい新しいものに走りがちな私であるが、その道具を利用する、開発する根底には
・こまったな。
・どうしたら良くなるだろ?
・何を工夫しよう?
などの過程があってこそ今に至る。
我々の仕事は道具をあてがうことではなく、
困ったな?大変だな?を抽出し評価し、それに見合った最適な道具や環境を設定することなのだ。
暇な私はひみつ道具に『栗』にまつわるものはないかと検索。
なんと、あった。その名も『上げ下げくり』
予定をくり上げたりくり下げたりすることができる道具らしい。
興味があったら調べて欲しい。
2025.11.14
訪問4コマ漫画㊿「『らしく』生きる。」
『あなたらしさ』ってなんですか?
急に問われた質問に、どれだけの人が答えることができるだろう。
私も自我は強い方だとは思うが、自分らしさとは?と問われると、ちょっと困ってしまう。
先日、信号待ちをしていると、後ろを電動車椅子で通行していったオジ様に目を奪われた。
それは8月の炎天下。
不要不急の外出は控えてくださいと言われているあの頃の出来事で
颯爽と私の後ろを駆け抜けた電動車椅子オジ様は
車椅子にうまく固定した日傘を指し、
イケてるサングラスに柄シャツ。
そして両手にはあのDAIGOバリの革手袋をつけて駆け抜けたのだ。
炎天下、暑さで脳の80%は機能停止してる私も心から『イカしてる』と呟いたのは忘れない。
どのような理由で車椅子を使っての生活に至ったのかわからないが、その生き様に拍手喝采。
そして、Sさんの葛藤も同時に思い出されるのであった。
Sさんは比較的いいお家柄の奥様であった。本人も予想だにしなかったであろう。急に、本当に急に脳出血を患ってしまったのだ。
なんで私が?
誰もが思う気持ち。
Sさんも強く、悔しく思っただろう。
Sさんは非常にプライドが高かった。
『なんでこんな身体になったのか?』Sさんはよく言っていた。
そしてそんなSさんは治ることにとてもこだわっていた。
元に戻りたい。切実な想いであった。
しかし、しっかりリハビリ病院(回復期病棟)で努力を重ねてきたが本人が望む形、身体での退院には至らなかった。
在宅に帰ってきたタイミングにてリハビリを継続したいという強い希望、治りたいという思いからリハビリがスタートしたのだ。
リハビリ開始当時Sさんはがむしゃらだった。
きっと病院ではできなくても家なら、慣れた環境ならできる。と思っていたに違いない。
それが思うようにいかず、また転んだりと失敗を繰り返し、その度落ち込み涙していた。
まだまだ花盛りであったSさん。友人の中にも同じような病気を患った人はおらず、お見舞いの人の言葉にも表面では笑顔で返すものの、「頑張って、、、なんて適当なこと言って、、、」
と友人さえも遠ざけようとしていた。
そんなSさんの姿を、頑張りを、行動をみて皆さんはどう思うだろう。
「いつまでも動かない手にこだわらず、できることやればいいのに。」
そう感じる家族。
頑張ってるのもわかってるからこそかけれない言葉もあるだろう。
Sさんは、とある会に着物をきて出席したいという気持ちを強くもっていた。
しかし、こんなみっともない姿を知り合いに見せるなんて、、、と相反する気持ちも強く感じていた。
完璧を求めていたSさん。確かに前と同じような立ち姿で会に参加することは難しかったが一つ一つ代替案を提示しながら本人と話し合ってきた。
この時、私が気をつけたことは、『できない』ではなく『できる』という気持ちを持ってもらうように関わったことだ。
この方法なら大丈夫よ。
これならきっと危なくないよ。
こーいうサポートあれば安心よ。
この道順で行けば車椅子でも大丈夫。
できるイメージを少しずつ持ったSさんは、完璧主義だったSさんはだんだん今の身体にあった方法を受け入れ、前向きに階段を登る練習や、自分が考える案(この身体だったらこーしたらどうか?など)を伝えるようになってきた。
そしで、晴れて目標としていた会に参加することができたのだ。
会が終わってホッとしたのも束の間、次の会にはこーやって参加すると次なる目標も今の課題も抽出してきたのだ。
さすがだな。と思ったのだ!
病気を患うことは確かに、失うもの、諦めることも多い。しかし、アイデンティティや「あなたらしさ」を失う必要はない。
Sさんは自分らしさを追求すべくできること、やりたいことに貪欲に取り組んでいるのである。
オジ様にしかり、着物を着たいという強い気持ちのSさんしかり、
この姿をみて
きっとあのDAIGOも言うだろう。
RSI
「らしく生きる:Ra Shiku Ikiru」
いぇーぃだぜ。
2025.11.14
訪問4コマ漫画 ㊾「お、も、て、な、し。のココロ」
日本政府観光局によると『2025年7月の訪⽇外客数は 3,437,000 人で、前年同月比では 4.4%増となり、7月として過去最高であった』とのこと。
確かにこの夏は、暑いにもかかわらず右を向けど左を向けど、外国の方が日本の文化を、観光を楽しんでいる姿をたくさん見る。
暑い暑いと怠け、インドア生活を送っている私には、遠い国からはるばるいらっしゃった外国の方々のバイタリティたるや、崇めるに値する。
とまぁ、日本を高く評価し、楽しんでいただいているのにはきっと理由もあるのだろう。
その一つに、2013年9月7日に開催された第125次IOC総会で、東京オリンピックの招致プレゼンテーションでの滝川クリステルさんの『お・も・て・な・し』は大きな話題を呼んだ。きっとあの映像からも日本を連想する外国の方は多いに違いない。
訪問リハの現場でもいわゆる『おもてなし遺伝子』を持った利用者様に遭遇することは多々ある。
Aさんとのお付き合いは早10年近くなる、レビー小体型認知症という難病を患い徐々に低下していく身体機能、認知機能。
レビー小体型認知症とは、アルツハイマー病に次いで多い認知症で、特徴的な症状としては「幻視」や、「パーキンソン症状」がみられ、物忘れやうつ症状なども認められる病気である。
Aさんも出会った当時は歩行器を使って1人で歩いたり、屋外歩行練習を行うことができていた。病気のこともあり早くに有料老人ホームに入居しそこで安心、安全な生活を送っておられた。
訪問リハの現場は基本、在宅、いわゆる家が現場となることが多いのだが中には有料ホームに入居されている方にリハビリのお手伝いをするとも少なくない。
在宅と違って、整った環境だったり適切なケアが身近にあるため危険は少ない分、身体的なケアを中心としたリハビリを行うことが多い。Aさんのリハビリも下肢の筋力を低下させないようにという目標のもとスタートしたのである。
Aさんはとても上品な方であった。
Aさんとのやり取りを重ねるにつれてAさんは『ココア』を淹れるのが得意!だということが判明した。
「今度ぜひ美味しいココア飲んでみたいなー」
その一言がAさんのおもてなし精神にスイッチを入れたのだ。
次の訪問の際、お部屋にお邪魔すると開口一番に
『先生、今日はお時間あるのかしら?』
相手のスケジュールへ気遣いも忘れないAさん。
「んん?大丈夫ですよ。」
そう答えるや否やバイタルを測ることもそっちのけでいざ歩行器を手に取り
「先生、私についてきて」
珍しく積極的、強引なAさん。
そういうと、ホームの共有キッチン?まで案内する。
なんのことや?と思いながらついていくとAさんの歩行器の荷物入れから『ココアの缶』がでてくるではないか。
サプラーイズ!!
「いつも先生にはお世話になってるから、今日は私がもてなしたいの」
そういうと、何分も何分もかけて最高の一杯のココアを入れてくれたのだ。
「私のココアは特別なのよ」
得意げな顔が今も思い出される。
上品なAさんはさらに歩行器の荷物入れからお菓子を取り出した。
「本当はケーキなんて買いに行きたいけど行けないからこれで我慢してちょうだいね。」
なんて可愛いおもてなしだろう。私は訪問リハの仕事そっちのけで最高のアフタヌーンティーを楽しんだのである。
おもてなしはホスピタリティとも訳され、我々人と接する仕事においては大事な精神である。
私はAさんのちょっとした心遣いから改めてホスピタリティとはなんぞや!?と受ける側として考えた。
ホスピタリティ=与える
と勘違いしている人もいるだろう。
何かしてあげることがホスピタリティだと。
違うよね。
Aさんとのお付き合いは10年に渡り病気も進行し今はあのココアを飲むことはできないけど、今でもあのココアの味は忘れない。
可愛いAさんは見える幻視までも私を楽しませてくれた。
「先生、今日はキラキラした片栗粉がお空から降ってくるの、綺麗ねーー」
未だかつて空から降る片栗粉を経験したことないが、きっと綺麗なんだろうなーと想像しつつ、
「キラキラ見えていいですねー」
なんて曖昧な返事をしたら
「いいわけないじゃないのよーー。」とまさかの変化球を、返してくることも。
ホスピタリティ、おもてなし。
目配り・気配り・心配りがまだまだ足りない私であった。
2025.09.08
訪問4コマ漫画 48話
これが生きるに寄り添うこと。かな。
おかげさまで、、、
マザース成城中野支部はこの度10周年を迎えることとなった。開設してまもなく入社した私はこの10年マザースと共に歩み、そして年をとった。
その間、世の中もすこぶる速さで展開しており、介護保険の法改正も2005年から3年ごとに法改正されている。
私が訪問業務に初めて従事したのは大学卒業後、理学療法士として3年目だった。
まだまだ介護保険ってなんぞらほい。
という人も多かった頃に比べると、支援する私たちも意識が変わった一方、支援を受ける利用者、家族も介護保険を利用して地域で生活する、最期をどう迎えるかという意識に変化があるのは言うまでもない。
今では馴染みのある「終活」という言葉は2009年にメディアを通じて初めて世に出てきたが、いまでは終活は年を重ねる上で非常に大切なワードになっているのは身をもってわかる。
たった10年を振り返るだけでも、
介護保険という限られたワードを元に振り返ってみても
時代とともに変わってきたなと思う。
住まい・医療・介護・予防・生活支援の一体的提供が求められるようになり、住みなれた街で最期まではもちろんのこと、
高齢者のできる力を伸ばす!
というケアへシフトしてきていると感じる。
また、テクノロジーの進歩にて見守りセンサーや遠隔モニタリングなど実際にそばにいなくても本来の目的を果たせるように技術は進歩しており
介護施設ではスタッフの負担軽減や業務の効率化に役立っている。
利用者様の目線に立てば
利用者、家族の「選ぶ権利」の意識が高まり、受け身の姿勢から、「こうなりたい」「こうしてほしい」「こんな生活を送りたい」と意識が変わってきたと感じる。
家族に関しても「介護は家族が行うもの」
という意識からどんどん外部サービスを利用することへのハードルが下がったと思う。
と、まぁ私の考えの偏りはあるかもしれないが、
私は思う、
・選ばれることへの責任
・サービス質とは、、、と。
先日、とある会で訪問マッサージの会社の営業を担当されている方とあれこれ話す機会があった。
お互い、保険下でサービスを提供するものとして、これからのサービスのあり方に関して話したのだが
「保険下で目的意識なくサービスを提供していると技術(サービス)の質が落ちる。という危機感を持っている」と。または技術の向上がない。と。
私はその言葉に共感したのであるが、、、
確かに、利用者様によっては「きてくれるだけでありがたい。」なんて言ってくれる方も、確かにいる。
しかしこれからの時代、それだけではセラピストとして生き残っていけないなと感じるのだ。
一方で介護業界は慢性的な人手不足。
質よりも量を確保することが難しいのが現実で
選びたくても選べない状況も事実である。
私は初任者研修の講師もさせていただいているのだがその際、受講生に「高齢者のイメージを教えてください」と問う。
出てくるワードはネガティブなワードばかり。
「あなた達、行く末はみんな高齢者になるのよ、こんなネガティブワードで悲しくない?」
なんて質問しようもなら、みんな苦笑いの場面を何度も直面した。
さぁスタートに戻ろう。
今までの10年を振り返り、これからの10年を明るくするためには??
責任という言葉は重くのしかかるかもしれないが、見方をかえれば『やりがい』につながるし、
年を重ねることへのネガティブなワードが減り、ポジティブな言葉へ変換されれば
きっとこの業界自体の未来も明るいであろう。
私がコラムを書くのは違った切り口から介護・医療の楽しさ、深さを伝えたいと共に、アハって笑ってもらえたら、、、、
訪問リハも楽しいじゃん!と思ってもらいたいからで、、、、
先日、とある利用者様から言われた一言
「老い先短くとも、自分でありたいわね。」
正解がない人生において、まさに終着駅を近くに感じる今だからこそ、こうあるべきだとか、こうした方が安心だとか周囲の意見も最もだが、自分を大切にしたいという気持ち。
寄り添うってそういうことだよな。
だからこそ、
・選ばれることへの責任
・サービス質とは、、、と。
といながら今日も訪問を通じて利用者様の生きるに寄り添いながら、なんかオモシロネタはないかと、わるーい顔をして日々業務をおこなうのでありました。
これからもマザースと4コマコラムをどうぞよろしくお願いします((〇┓
2025.08.23
訪問4コマ漫画 47話
「真夏の思い出」
暑いったらありゃしない。
毎年、言ってますね。
だって、暑いんだもん。言わせてよ。
さてさて、この季節の訪問リハのプログラム内容は本当に頭を悩ます。
なぜなら、屋外歩行練習を実施することが命からがらなのだ。
訪問リハビリのプログラムの一つに、屋外歩行練習を取り入れている利用者は結構いる。
屋外歩行練習の目的は、安全に外にでるようになる!ということもそうだが、
今日も外を歩けた!という事実が、明日生きるための安心につながる方や
引きこもりの方を外に連れ出す!という名目で行うこともある。
しかし、今年もこの暑さだ。
屋外歩行練習を実施するか否かの見極めは非常に難しいところである。
ふと、屋外歩行に関してAさんもよく頑張ってたなーーー。と思い出す。
年配の男性の利用者様の傾向として、
・家族の言うことは聞かないが、先生(医者や看護師など)の指示には従順。
・一度決めたら、なかなか融通が効かない。(プログラムの臨機応変な変更ができない)
ところがある。
Aさんもその口で、リハビリの時間は一緒に外にでて公園を一周するってことがルールであった。
多少雨が降ろうがお構いなし。雨で前髪がヒタヒタになっても歩くのだ。
とある暑い日。
ミーンミーンとセミの声。
なんじゃこりゃと叫びたくなるような暑い日。
こんな日も暑さ対策をしっかりして屋外歩行練習をいつも通り実施した。
途中休憩を挟みながらAさんとお話しタイム。
普段寡黙なAさんは、この休憩タイムはほぼ私が一方的に話を(もう漫談といっていいだろう)聞いているだけ。
理解しているのか?してないのか?うんうんと合いの手だけくれる方であった。
この日も暑さ相まって、どーにもならない暑さへの愚痴をこぼす私。暑くて眉毛がなくなるだとか、ペットボトルの水がすぐにお湯になるとか、落ちのない話を繰り広げる。
そんな会話の最後に
「よく、こんなに暑いのにAさん、外歩き、頑張りますね。」
と声をかけた。
すると、普段寡黙なAさんが、、、
「あなたが来ないと、外歩けないから。」
と口を開いた。
普段口数の少ないAさん。
そっかーー。と私は思った。
屋外歩行練習も本人からやりたいというわけではなく、本人の能力を加味して提案したプログラムだった。
そして毎週屋外歩行練習をすることでなんとなくルーティン化してしまったプログラム。
慣れてしまったのは私の方で、そこに対してしっかりと目的を持って取り組んでいたのはAさんだった。
プログラム内容は変わらずとも、取り組む意思や目的は実は変わっていたりする。
本人の気持ちをその都度確認したり、本人から引き出せてなかったのは私の方だった。
Aさんも初めこそ、なんとなくリハビリスタッフの提案に対して同意し屋外歩行練習を開始しただろう。それが今では、リハビリの時間は外を歩ける時間と意味付けされており、強い目的を持って取り組まれていたのだ。
そっか。できる限り外を歩くことを取り組もう!と思った時間だった。
季節はすぎ、今度は寒い日のこと。
「今日はちょっと寒いけど上着着たら大丈夫だから、外いこっか?」
いつも通りの声かけをした。
するとAさんは
「寒いからやめる」
えっ。
あの真夏の炎天下ではへこたれなかったメンタルは、ちょっと木枯らし吹く寒い日には簡単に諦めにつながってしまった。
そかそか!そーだよね!
Aさんの気持ちを尊重しつつら、さて何しようかなー?と思うのを思い出した。
さぁ、まだまだ暑い日が続きそうだ。
あなたは真夏にどんな思い出がありますかぁ??
2025.08.23
訪問4コマ漫画 46話「最新テクノロジー」
先日、大阪万博が開幕した。トレードマーク?のミャクミャクに段々心を奪われつつ、テレビから伝わる最新テクノロジーたちに、すげー。うわぁー。見てみたいなー。
と、興味本気、好奇心だけで生きている私はまさに、釘付けである。
テクノロジーといえば、巷でもそして、この機械音痴の私でさえ使っているAIテクノロジー。本当に便利だなーと思うし、あっという間に仕事を終えてくれる。
最近AIを使ってこんな質問をしてみた。
「訪問看護、リハビリにおけるちょっと笑えるエピソードを作って。」
どんなもんやAIと待っていたら以下の答えが返ってきた。
⸻
『リハビリは突然に』
訪問リハビリの理学療法士・高橋さんが担当しているのは、御年85歳、元大工の鈴木さん。見た目はごつくて無口だが、実はおちゃめでおしゃべり好き。
ある日、いつものように筋トレのリハビリをしていると、鈴木さんが真剣な顔で言いました。
「先生、今日は新しいメニューを提案したい。」
「えっ?鈴木さんから?」と驚く高橋さんに、鈴木さんはニヤリと笑ってテレビを指差しました。
そこには、テレビでやっていた某アイドルグループのダンス練習シーン。
「これ、できたらリハビリどころか、俺、紅白出れるかもしれんぞ。」
「いや、出ないですし!」
結局その日は、椅子に座ったままの“簡単アイドル風”ステップ練習が始まりました。手のリズム運動と体幹トレーニングにうまくアレンジしつつ、音楽に合わせて笑いが絶えない30分に。
最後に鈴木さんがひとこと。
「やっぱ踊ると、心まで動くなぁ。」
高橋さんは、記録用紙に「本日のリハビリ:踊る心と脚」とだけ書いて、静かに笑いました。
⸻
オチまでついた完璧なエピソードであった。
AIはたくさんの情報をもとエピソードを作っているのだとしたら、、、
訪問看護、リハビリの情報のなかに
つまり、わたしがいつも目標に掲げている、心を動かすリハビリを!という情報が組み込まれているということか!
なんか、AIと気が合いそうである。
今後、もっともっとテクノロジーが身近になりリハビリは個別性といいつつも、疾患と評価をちょちょっと入力するだけで、その人にあったプログラムや予後をすぐさまAIが捻出してくれる時代も出来上がるだろう。
だとしたら、療法士としての我々の強みはなんだろうか?
ICFなどを勉強し、その人を理解しながら支援計画やリハビリプログラムを立てていくという作業、寄り添うという心を
AIが代行してくれたら、どこか寂しい気持ちもあったり。
しかし一方で、日々の忙しない業務をAIが代行してくれることで、
仕事効率をあげ、余裕ができるからこそもっとその人に寄り添えるという考えもできる。
うまく時代にのり、テクノロジーを駆使していくことがこれからは必要なんだろうな。と大阪万博を見ながら思ったわけで、、、
そんな話を、とあるアラナインティのご夫婦にしたところ、
「初めて大阪であった万博、行ったわよー。その時もすごかったわぁ〜。あなたも見た?」
と。
「いえいえ、まだ生まれてませんから〜。」
「あら、そう。てっきり大阪万博も知ってるのかと思ったわ。」
ここで正そう。初めて大阪万博が開催されたのが1970年
当時の年齢を10歳と見積もっても
2025年現在で65歳となる。
私はいくつだと思われているのだろうか?
それこそAIに聞いてみたい。
2025.05.07
訪問4コマ漫画㊺「推し活とリハビリ」
『推し活』→ アイドルやキャラクターなどの「推し」、いわゆるご贔屓を愛でたり応援したりする、「推しを様々な形で応援する活動」のこと。らしい。
2021年には「推し活」が新語・流行語大賞にノミネートされ、もう耳馴染みになったなぁと思う。
一説によると、日本人は昔から「推し活」好き!?と言われており、推し活文化は古くは江戸時代からあると言われている。
「推し活」による健康効果も研究されており、健康感、自己肯定感が高まったという報告もあるほどだ。
私は利用者様のADL、QOLを改善するために、推し活がどれほど効果があるかが、痛いほど(笑)よくわかっている。
とある利用者様は中高年のアイドル氷○きよ○の大ファン。
ベットの周りにはうちわやら、タオルやらたくさん飾ってあった。
普段は全くリハビリに意欲を示すことなく、身体の不定愁訴(しんどぃ〜とか、痺れる〜とかとか)が多く、
どこの小娘が勧める「歩く練習しましょう」なんて提案はもちろん受け入れず、取り組むことができない。
しかし、しかーーし、どうだろう。
普段ベットで過ごすことが多いにもかかわらず、推しのコンサートとなれば、何時間もかけて会場にいき、数時間のコンサートを楽しんで帰ってくるという、、。
推しのリハビリ効果、リハビリ実施率、ぱねぇったらありゃしない。
他の利用者様だってそうだ。
普段、脳トレなんて、見向きもしない男性利用者。嫌だ嫌だのオンパレード。
そんな時に、iPad使って、昭和の俳優の写真をチラッと見せようもなら、ウィキペディアにも書かれてないような、あんな話、こんな話(事実かどうかはわからないが)出てくるわ出てくるわ。
最後には「来週もこの機械(iPadのこと)使ってみせてよ。」と高度な交渉も交わしてくる。
つまりは、心が動けば、身体はもちろん頭も動くし、生活そのものにも変化を生むことができるのである!
こういう利用者様の様子を直に見ている、体感しているからこそ、
私は心が動くリハビリを!!と常日頃から感じるのである。
とあるご利用者様のお話だ。
乳がんによる骨転移にて大腿骨が病的骨折をした。手術することができず不適格な形で癒合してしまいベット上での生活が中心となってしまった方のお手伝いを数年行ってきた。
何かを改善するとか、よくなるために!という、目的でのリハビリではなく、現状を維持するため、不動による不快感を軽減するための
リハビリが中心、目標であった。
できることは少なく、果たして、自分のやっているリハビリはこれで良いのか?やる意味あるのか?と当時の私は感じていたのも正直な気持ちであった。
何年もお手伝いをする中で、いろんなことも話すようになった。
最近のドラマの話やアイドルの話、芸能人のゴシップ話などなど。
団地の奥様方がゴミ捨てがてらに繰り広げられるような井戸端会議をリハビリの時間にせっせとやっていたのだ。
口は動けども手は動かず、果たしてリハビリに来たのか?話に来たのかわからない日も正直あったと思う。
そんな時間を数年過ごしながら、最後は静かに亡くなられた。
亡くなられたあと、娘様との会話の中で
「母はリハビリの時間とても楽しみにしてました。アイドルとか、芸能人のゴシップ、恋愛話とか、とても楽しみにしていたみたいです。普段私とは全然しない会話なので。
恋愛の話しやちょっと下ネタの話の時とか、母のピンク色の部分がたくさん出てきて(笑)
とても楽しそうにしてて、私も嬉しかったです。」
ピンク色かぁ。
推し活も、きっと人間が本来持っている、ドキドキしたり、ワクワクしたり、キュンキュンしたり、そんな気持ちなんだろうと思う。
推し活の対象は、アイドルや芸能人である必要はない。
○○さんを見に行くために、毎週ディにいくのよ。とか。
○○さんがきてくれると、楽しいからとか。
そーいや、昔、ケアマネさんからのリハビリの依頼書の備考欄に
「イケメン男性スタッフ希望」
と書かれていたっけ(笑)
※マザースにはイケメンもイケジョも、そろってます。
私ごとになるが、我が母も大概のミーハーさんであり、推しがいようものなら、「なんでそんなこと知ってるの?」
というとこまで推しのことなら知っている。
久しぶりに、実家に帰った時のこと、
棚や壁に飾ってあった家族の写真が、当時推していた韓国俳優の写真に全て変わっていた。
えーーっと驚いたのも序の口、母の言い訳ったらありゃしない。
「あんたら(家族)の写真見てもつまらんもん、○○の、写真見てたほうがええやん」
推しの強さを実感しつつ、家族の絆ってなんで脆いんだと思ったのも束の間
母の部屋にもしっかり、どでかいポスターが貼ってあるのを見て
「あぁ〜、この人長生きするわ。」
と子供ながらに思ったのであった。
2025.02.10














