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4コマ漫画60『「命を守る」だけでなく、「生きる」を支える、、、リハビリを。』

先日、がん末期の方のリハビリを担当した。

介入した当初から、決して状態が良いとは言えない方だった。

徐々に体力は低下し、積極的な治療を続けることも難しくなり、いよいよ緩和ケアへ、という段階となった。

骨転移もあり、血液データも良くない。

その頃主治医からも、

「この状態でリハビリをすることは、果たしてどうなのか」
「本当に必要なのか」

そんな話が出るようになった。

一方で、ご本人はとても「生きる」という意思の強い方だった。

少しでも痛みを和らげたい。
少しでも身体を楽にしたい。

そして、リハビリを続けたい。

その気持ちは最後まで変わらなかった。

私自身も、その希望にはできる限り応えたいと思っていた。

でも、本当に、、、正直に言えば、

怖かった。。。

これが本当に、この方のためになっているのだろうか。

リハビリをすることで、逆に身体へ負担をかけてしまうのではないか。

日に日に身体が弱っていくのを目の当たりにし、
「死」が少しずつ近づいていることも感じる。
訪問するたびに迷う。

昔、むかし、病院に勤務していた頃のことを思い出す。
排痰を目的としたリハビリを行っていた時、突然意識がなくなり、私の目の前で急変、気管挿管となる経験をした。

あまりにも突然のことで、驚きと、「どうしたらいいんだろう」という気持ちでいっぱいでワタワタするしかない私。

その時、先輩は
「いい経験になったね」
と声をかけてくれた。
この経験を次の患者さんに繋げなさい。

そんな励ましだった。

あれからたくさんの方に関わってきた。
そして経験を重ねれば重ねるほど、

不安を払拭するわけでもなく、、

身体を動かすことにもリスクがある。

離床することにもリスクがある。

そして、終末期であれば、そのリスクはより大きくなる。

それでも、リハビリがその人にとって得られるものがあるとすれば、

私はどこまで関わるべきなのだろう。そういう気持ちになった。

この方にとって、今リハビリをすることは、本当にプラスになっているのだろうか?

終末期のリハビリには、疼痛緩和や呼吸苦の軽減、拘縮予防、安楽な姿勢の調整など、さまざまな目的がある。

もちろん、それは頭では分かっている。

でも、それだけでは納得できない気持ちもあり。。。

何かもう一つ、
「この状態でもリハビリを続ける意味」
を探していた。

今は便利な時代だ。

インターネットを開けば、同じような経験をした医療者の経験や、さまざまな文献に触れることができる。

答えを探す私、、、

そこで出会った考え方が、

「本人にとってのベネフィット(価値)が、リスクを上回るか」

というものだった。

そして、もう一つ

「命を守るだけでなく、生きるを支える。」

終末期だから、危険なことは何もしない。

それだけが「その人を守る」ということではないのかもしれない。

痛みが少し楽になること。
身体に触れてもらって安心すること。
「今日もリハビリができた」と思えること。

そして、
「自分はまだ、生きようとしている。」

その気持ちを誰かが受け止めること。
それもまた、リハビリの役割なのかもしれない。

リスクがあることを分かった上で、それでも関わる。
その意味は、身体機能を良くすることだけではなく、
その人が最後まで「自分らしく生きようとすること」を支えることにあるのではないか??

ただ、

「これが答えだ」

と思えたかというと、そうでもなく、
答えが出たような。。。
出なかったような。。。

そんな気持ちのまま、
その方は亡くなった。

今でも、
あの時のリハビリは本当に良かったのか?
もっと違う関わり方があったのではないか?

そう考える。

たぶん、完璧な答えが出ることはない。

経験を積めば迷わなくなる?
いや違う。

いろいろな患者さん、利用者さんと出会い、
いろいろな人生や価値観を知ったからこそ、

「本当にこれでいいのか」

と迷うことが増える。

目の前の人にとっての「利益」と「リスク」を考え続ける。
そして、

「この人は、今、何を大切にして生きたいのか」

命を延ばすことだけが、リハビリではない。

できることを増やすことだけが、リハビリでもない。

改めて、リハビリについて、そして「生きることを支える」とは何かを考える機会と、多くの気づきをいただいた。

ご一緒できた時間は決して長くはなかったが、私にとって、とても貴重で、そして何より楽しいリハビリの時間だった。

関わらせていただいたこと、そして大切なことを教えていただいたことに、心から感謝する。

2026.09.10

4コマ漫画59『AIの波は、高齢者にも、、、』

 

先日、とあるスタッフからこんな話を聞いた。

80代の女性利用者様が、なんと!!!
すっかりAIを使うことを楽しんでいると!

どんな使い方してるの?と、80代とAIが結びつかない私は疑心暗鬼にスタッフに尋ねてみた。

「○○が痛いんだけど、なんでだろう?」
とAIに聞いたり、

冷蔵庫の中身を写真に撮って、
「この材料で献立を考えて!」
とお願いしたり。

返ってきた答えを見ながら、
「楽しいね。面白いね。」
と笑顔で話しているんだそう。

終いには
「腸腰筋をストレッチしたいんだけど、どうすればいい?」
と聞いたら
「80歳を越えて、そのような考えを持つことは素晴らしい」と誉められたし、癒やされたわーと。

めっちゃ使いこなしてるやん!!

AIというと、「難しい」「怖い」「若い人のもの」というイメージを持つ高齢者が多い中、
積極的に使いこなし、新しい楽しみを見つけている方もいると、新しい発見あり、先入観でなんでも決めつけてはいけないな!と感じたところでした。

そして、今まさに、世の中は”AIとの付き合い方”が変わる過渡期なのかもとつくづく思うわけで。

実際、訪問看護の現場でも変化やAIの影響を感じる。

以前は携帯電話:ガラケーを持っている利用者様が多かったが、最近はスマートフォンへ切り替える方が本当に増えた。

訪問すると、リハビリや体調の相談だけでなく、こんな相談を受けることも多く、

「LINEのアイコンが消えちゃったんだけど、どうしたらいい?」

「このメール、本物かな?開いて大丈夫?」

「役所から『スマホで手続きできます』って書類が来たけど、どうやるの?」

そのたびに私は、少し得意げに、有識者のようにスマホの操作方法をレクチャーする。

すると、

「ありがとう!」

「助かった!」

と、とても喜んでいただけ、

「さすがだね」

といわれ優越感にひたる。

リハビリとは直接関係ないように見えて、こうした”ちょっとした困りごと”を一緒に解決することが信頼関係につながり、問題を解決することで心にも身体にも余裕ができ、いつも以上のパフォーマンスを発揮する方もいる!

リハビリよりスマホの先生として感謝される日もありかな。と感じる。

棚から牡丹餅ならぬ、「スマホから信頼獲得」

実は、このAIの波はリハビリ業界にも急速に広がっている。

計画書や報告書の作成を手伝ってくれることはもちろん、最近では身体評価までAIが行える時代になってきた。

姿勢や動作を解析し、身体の問題点を抽出し、必要な運動プログラムを提案する。

ここまでは私も「そういう時代になるだろうな」と想像していた。

しかし最近では、

「どのくらいの強さで身体に触れるべきか」

「どの程度の負荷で運動を進めるべきか」

といった、リハビリの”さじ加減”までAIが提案できる技術も登場しているそーな。

技術の進歩には驚かされるばかりだ。

そんな技術の進歩に便利だなーと思う一方、私たちの役目は?とヒヤヒヤすることも。

しかし、もちろん、AIはもちろん万能ではない。

利用者様の表情や声のトーン、その日の雰囲気。

「今日はいつもより元気がないな」

「何か気になることがあるのかな」

そんな小さな変化に気付き、寄り添えるのは私たちでしかないと思う。

AIが得意なことはAIに任せ、人にしかできないことは私たちが担う。

だからこそ、技術はもとより人として、ホスピタリティが大切になってくるのかな?と思うのだ。

高齢者もAIを楽しみ、私たち医療・介護職もAIを活用する時代。

数年後には、「AIを使うのが当たり前」という日が来ているだろう。

変化を恐れるのではなく、楽しみながらアップデートしていきたい。

最後に、私とAIの話をひとつ。
先日、AIに質問したところ、返ってきた答えは見当違いだった。

思わず、
「いや、そうじゃないんだけど。」
と愚痴を吐くわたし。

するとAIは、

「申し訳ありません。説明が不十分でした。」

と素直に謝り、さらに改善案まで提案してきた。

「まず謝る。そして相手に寄り添い、次の提案をする。」

あれ?これは私たちが大切にしている支援の姿勢そのものでは、、、。

最近は、AIから仕事だけでなく、ホスピタリティまで学んでいる気がします(笑)。

 

2026.08.06

4コマ漫画58『爆笑!訪問現場エピソード』

訪問の仕事をしていると、毎日のように笑わせられる。

先日、リハビリ中のこと。
利用者さんが真剣な顔で、
「最近のA1ってすごいね」と、、、

はて?A1?

・漫才の頂上決戦はM-1。

・強さを引き出す乳酸菌はR-1。

・私の地元には雑巾掛けレースのZ-1もあるが、、、

さて、A1とは何ぞや?
話を聞いているうちに答えに行き着いた。

「人工知能がね……」

あぁぁぁぁ。

AIのことか。

そう、AIをA1と言い間違えていたのだ。

なんだか惜しい。
座布団1枚あげよう。山田くーーーん。と言いたくなる間違いだ。

高齢者の方の言い間違いは本当に面白い。
ついついその言い間違いを聞きたくて、話を振ってしまうことも。
よくあるのが「ティー」が「チー」になる現象。

PTAは
「ぴーちーえー」

レモンティーは
「レモンチー」

これはもう訪問あるある。

そして私が一番ツボだったのがDVD。
ある利用者さんは、
「ディーブイデー」

いやいや。
「ディー」言えてるやん!
なんで最後だけーーー。

思わず心の中でツッコミを入れた。

もう一つ。
ある利用者さんには、リハビリ前のルーティンがあり
「痛いの怖いから、必ず痛み止め飲んでおく」
と言って、毎回リハビリ開始30〜60分前に痛み止めを飲む方がいた。

その日も、

「お薬飲みました?」

「飲んだよ」と。

ではリハビリスタート!と立ち上がった瞬間。
コロコロコロ
白い粒が床へおちていった。
そう。
いつも飲んでいるはずの痛み止め。
どうやら上手く口に入らず落ちてしまったよう。でも、本人は飲んだつもり。

しかしその日のリハビリ。
痛みなし。
絶好調。
果たして痛み止めの効果はいかに。
もしかするとラムネでも同じ効果があるんじゃないか!?

と思うエピソードだ。

そして、暑い日の訪問でのエピソード。

自転車で移動していると、到着した頃には汗だく。
タオルで拭いても拭いても汗が出る。

そんな私を見かねた利用者さんが、

「あなた、脱水になるからいっぱい飲みなさい」
と奥から水分を持ってきてくれた。

ありがたい。感謝である。
そして出てきたのはポカリスエット。
さらに差し出された器は
大相撲の優勝力士が持っていそうな大きなどんぶり。

そして、なみなみと注がれるポカリ。
器の半分くらいにしようか、という遠慮する雰囲気全くなし。縁いっぱいまで注がれる。

横綱も顔負けの飲みっぷりでゴクリと飲み干す。
利用者さんは満足。
私のお腹タプタプ。

脱水知らず、毎年元気で真夏も訪問できるのはみなさんのおかげです笑

と、まぁ紹介したいエピソードはまだまだたくさんある。

訪問看護や訪問リハビリというと、

「大変そう」

そんなイメージを持たれることもある。
もちろん嘘ではない。
悩むことも沢山。

でも、それ以上に人とのつながりの中で生まれる笑いや温かさも、沢山あるのだ。

私が中学生の頃の校訓に、

「心身を鍛え、自ら学び、つながりに生きる」

という言葉があった。

今になって思います。

人は誰かとのつながりの中でこそ、

楽しさも、
満足感も、
充実感も得られるのだと。

そして、つながりがあるからこそ、時には悩みや試練も生まれる。
それも含めて人生、そして訪問看護の楽しみなのかもしれない。

今日もどこかの訪問先で、

誰かが「AI」を「A1」と呼んでいる。

そんな何気ない日常に笑いながら、
これからも人とのつながりを大切に、タプタプのお腹を抱えて訪問します!

 

2026.07.23

4コマ漫画57『梅雨とリハビリ、猛暑との戦い。』

6月がきました。
訪問看護・訪問リハビリのスタッフにとって、ちょっぴり、いや、かなり複雑な季節が。。。そう。梅雨。
カッパに長靴。
私の少し劣化したカッパは、もはや防水というより「じんわり浸透型」

「なんか今日、背中冷たいな…」

と思った時には、もう負け。濡れてます。
しかも最近の6月は、雨だけじゃない。
暑い。とにかく暑い。
カッパを着た瞬間、サウナスーツ完成。でも痩せない。一体どういうことなのでしょう。

訪問先に着く頃には、
「リハビリする前に、こっちの体力を回復させてほしい」
なんて思うことさえ、、、(笑)

しかし、梅雨の影響を受けるのは、私たちスタッフだけではない。
本当に影響が大きいのは利用者さんの生活。

普段、
「毎日散歩に行ってるよ」
「リハビリの時は外歩きしてるよ」
そんな方でも
雨が続くと、外に出ない。
暑すぎると、もっと出ない。
熱中症警戒アラートが出た日には、
「今日はやめとこう」
となる。
それが数日続くと…

・足の筋力が落ちる
・体力が落ちる
・動くのが面倒になる
・さらに外に出なくなる

…という、悪循環の完成だ。

人間、一度“今日はいいか”が始まると、
なかなか外に連れ出すのは難しい。

そんな時、訪問リハビリはどうするのか。
答えはシンプル。家の中でやる!
すると、よく、、、

「でも、うち狭いから運動なんてできないよ」

なんて声が聞かれる。

そんな時私はきまって、、、

「安心してください。できますよ。」

…どこかで聞いたことのあるセリフ(笑)

でも本当に大丈夫なのだ!

訪問リハスタッフは、割と本気で何でも運動道具にしてしまう職業。

例えば

椅子
ただ座るだけの家具ではなく
立つ・座るを繰り返せば、
立派な下肢筋トレマシーン!

廊下
「ただの通路でしょ?」と思ってるそこのあなた!
いえいえ。訪問リハスタッフから見ると、
立派な歩行練習コース。
数メートルあれば十分たりる。

タオル
汗を拭くものだけではない。
引っ張る、伸ばす、肩を動かす。
あら不思議、リハビリグッズに変身する。

その場の足踏み
それだけ⁉︎と思いきや、
・足の筋力
・体力
・バランス
全てに効果テキメン。意外と侮れない運動だ。

つまりは
「家が狭いから運動できない」
は、実はそんなことない!

訪問リハは、
特別な場所じゃなくてもいい。
特別な道具がなくても大丈夫!

その家、その生活に合わせて、
できる方法を見つけていく!のが得意と言ってもいいだろう。

梅雨で外に出られない。
暑くて散歩が難しい。
そんな季節こそ、

「今日は何もできなかった…」

ではなく、家の中で、ちょっと動くを大切にしてほしい。

雨の日も、暑い日も、訪問リハビリはちゃんと続けられる。

 

大雨の日
カッパがシミシミでも私がきたら、少し体力回復のお時間頂戴できれば幸いです笑

2026.07.23

4コマ漫画

【出会いと別れと、続く支援】

春は出会いと別れの季節だと言われる。
けれど、私にとってこの数ヶ月は、少し重みの違う「別れ」の連続だった。

10年近く関わらせていただいたご利用者様たちが、相次いで旅立たれた。

支援してきた時間に後悔はない。
むしろ、深い感謝が残っている。
これまでも在宅で多くの方を見送ってきたが、それでも一人ひとりの別れは、やはり特別だ。

訪問リハビリという仕事は、関わりが長い。
人によっては10年近く、生活の中に寄り添わせてもらうこともある。
仮に人生が90年だとしたら、そのうちの約10年。
人生の「9分の1」を一緒に歩ませてもらっていることになる。

もしその人の人生が一冊の本だとしたら、
「リハビリ」という章が、しっかりと一つ出来上がるのではないかと思う。

在宅でのリハビリ。
終末期のリハビリ。
看取るリハビリ。
そして、見送った後のリハビリ。

実は、リハビリは「その人の人生」だけで終わらないことがある。

長い介護生活が終わったあと、今度はご家族が支援の対象になることも少なくない。

「次は、私かな」

そんな言葉とともに、ご家族のリハビリを引き継ぐことがある。

あるAさんも、約10年近く関わらせていただいた方だった。
ご家族はとても熱心で、最後までAさんのことを想い、できる限りのことを尽くされた。

その姿は、「最高の見送り」と言ってもいいものだった。

それから約1年後。
Aさんを担当していたケアマネジャーから連絡が入った。

「今度は、娘さんのリハビリをお願いしたい」

Aさんのリハビリを通して関わってきたご家族。

今度は、その娘様の支援が始まった。

リハビリというと、身体機能の回復をイメージされることが多い。
けれど、その方にとって必要だったのは、身体だけではなかった。

大切な人を失った後の心。
ぽっかりと空いた時間。
言葉にできない感情。

いわゆる「グリーフケア」という領域だった。

正直に言えば、私はグリーフケアを専門的に学んできたわけではない。
それでも、目の前のその方と向き合う中で見えてきたものがある。

娘様の支援を通して
悲しみは、すぐに消えるものではない。
むしろ、形を変えながら続いていく。

そして回復とは、「元に戻ること」ではなく、
その悲しみを抱えたまま、もう一度人生を組み立てていくことなのだと。感じた。

感情を少しずつ整理し、
日常を取り戻し、
新しい意味を見つけていく。

その過程に、リハビリとして関わらせてもらうことがある。

特段私が何かしたわけではない、いつものように身体のケアをしながらお母様の思い出話に花を咲かせ、そして娘様の気持ちや生活の変化を見ているだけだった。

その後娘様は、リハビリ以外にも社会とのつながりを見つけ、そして今もお母様を思いながら自分の人生を歩んでいる。

最近、「ポストケアラー」という言葉を知った。
介護を終えたあとを生きる人たちのことを指す言葉だという。

長い介護の時間が終わったあと、
ぽっかりと役割がなくなる。

同時に、大切な人を失った喪失感と向き合う日々が始まる。

その人たちにも、支援が必要なのだと、改めて感じた。

リハビリは、身体を整えるだけのものではない。

人生の節目に寄り添い、
ときには「その後」を一緒に歩く営みでもあるのかもしれない。

出会いと別れを繰り返しながら、
それでも人は前に進んでいく。

そのそばにいられること。
その時間を任せてもらえること。

それ自体が、何よりの意味であり、
私にとってのリハビリとして関わる意味なのかもしれない。

 

2026.05.28

4コマ漫画

『毎年同じ。桜と共に。。。』

この時期はおのずと桜にまつわるエピソードが増えてくる。
以前もコラムで書いたが、日本人にとって?桜は活動意欲をもたらす起爆剤のようなもので、いつも「イヤヨイヤヨ」の方も、「桜」というワードを出すと、「行こうかしら?」と外に出ることに自然と気持ちが向いていくのだ。

今回お話しするAさんは90代の女性。病気によって徐々に視力が低下し、ぼんやりと見えるくらいで日常生活を行っている。

「私の顔わかる?」と聞いても、「ぼんやりとね。」とおっしゃるので、

「Aさんが思っている以上に美人のリハビリの先生よ!」と嘘をつくのが日課のやりとりだ。

Aさんのリハビリは身体機能の維持をメインに筋力トレーニングをしたり歩行練習をしたりがメインだ。目が見えないために長い距離は歩けないが外歩きの練習もちょびっと行う。

そんなAさんとはたまに天気の良いは屋外散歩もリハビリの中に取り組む。
普段は「今日はいいわよ」(今日だけでない、いつも嫌という)と言うのだが

桜の季節はどうだろう。

「行こうかしら。あっ、そこの棚の上に帽子があるでしょう、それ被っていくわ」とノリノリだ。

ご自宅の近くに丁度いい公園があり、そこには桜の大木が2、3本ある。

そこに向かい桜を鑑賞しながら、写真を撮るのが一通りのプログラム。

「あら素敵、モデルがいいと桜の綺麗さも違いますね。」と伝えると、満更でもない表情。

私としてはこの表情が見たくて桜と一緒に写真を撮るのだ。

気がつけば私の携帯の写真フォルダの中には
「Aさん×桜×同じ公園」の写真がズラリ。

よく見ると、全部、ほぼ全部同じ場所、同じアングルで撮っている。

「えっ、これ去年?」「いや、一昨年か!?」

完全にデジャブ。

むしろ間違い探しレベル。

なんとセンスのないカメラマンだろうか。

違いがあるとすれば

年々、私の顔が確実に歳をとっているくらい、、、

その反面、Aさんは全くといっていいほど変わらない。

毎年、同じ場所で
同じように桜を感じながら
同じようにピースサインで、、、

今年も桜を一緒に見れた!一緒に写真を撮れたと言うのは本当に素晴らしいことだ。

今年もいつも通りを続けられる事。

きっと今年も桜が満開だよ。外行こうよ。とお誘いするだろう。

きっと、普段よりも前のめりで外に一緒に散歩にいけるかな。

今年もあの公園にいこう。

そして、今年こそは
「センスのある、違う角度で写真を撮ろう」

と想いながら

結局、同じ写真を増やすのだろう。

なかなかレベルの高い、難題の間違い探しが今年もできることだろう。

 

2026.05.28

4コマ漫画53「意思決定支援!」

新年あけましておめでとうございます。
今年はうま年。
「うまーく行こうぜ!」とやる気満々ですが、三日坊主にならないことを祈るばかりです。

さて先日、ACP(アドバンス・ケア・プランニング)の勉強会に参加しました!

ACPとは「人生会議」とも呼ばれ、将来の変化に備えて、将来の医療やケアについて、患者さん本人を主体に、ご家族や近しい人、医療・ケアチームが繰り返し話し合いを行い、意思決定を支援していくプロセスのこと。

――だよね、だよね。
患者さんの気持ちを尊重するって、本当に大事。

まだまだ知識も経験も不足していますが、日々の業務につなげていきたいと改めて感じました。

また別の機会に、「意思決定支援」について学ぶ場がありました。

意思決定支援とは、障害のある方や認知症のある方が、自分の人生に関する選択をする際に、必要な情報やアドバイス、コミュニケーション方法などを提供し、本人の意思決定をサポートするプロセスのこと。

なるほど、なるほど。
認知症のある方だって、「自分のことは自分で決めたい」。

どう関わることが、その人にとってよい支援になるのか。
改めて考えさせられる機会となった!

ACPも意思決定支援も、共通しているのは
「本人を主役に、寄り添いながら支援していくこと」。

大切なことだが、実際の現場では本当に難しい。
「どうすればよかったのか?」
答えが見つからない。

ここで、Aさんのお話。

Aさんは一人暮らし。
もともとの性格もあるのか、何事にも不安が強く、自分で決めることに自信のない方だった。

支援者は、できる限りご本人の意思を尊重し、不安に寄り添い、相談にも対応してきた。

しかし一つ、大きな困りごとがあり、

Aさんは、人によって言うことや態度が違い、
どれが本当の思いなのか、意思なのか、分からないのだ、

その時々の感情で発言が変わり、
支援者の一言で、今までの話が180度変わることもしばしば。
周囲の影響を受けやすいことも、支援を難しくしていた。

その結果、支援者それぞれが持つAさんの印象はバラバラで

ある支援者は
「いつも明るくて、よくお話ししてくれます。自分のことも比較的できていますよ」

一方で別の支援者からは
「人の悪口が多く、何でも支援者に頼ってきて大変です」

――支援者が振り回されてしまう状態。。。

皆さんも、こんな経験はありませんか?

家族の前では「嫌だ」と言うのに、
医師の前では「はい」と従順になる高齢者。

普段は「できない」「無理」と言うのに、
行政の前では「何でもできます」と話す高齢者。

こうしたケースは、まだ“かわいい”方かも。

一人暮らしの高齢者の場合、
・これからどうしたいのか分からない
・制度が分からない
・体は衰えていく
・不安ばかりが募る
・何が正解か分からない

そんな場面に、日常的に出会う。

私自身、できるだけ分かりやすく説明し、情報提供をしながら寄り添うことを大切にしていますが、
**「聞き方」「伝え方」**の難しさを、常に感じる。

さらに難しいのは、本人だけでなく、家族の意向が支援を左右する場面も多いことだ。

そしてもう一つ大切なのが、支援者間での情報共有。
主観や感情に引っ張られず、できるだけ客観的に伝えること。

私情が入ると、知らず知らずのうちに話が膨らみ、
本来伝えるべき情報からズレてしまうことも。
自分自身への戒めでもあります。。。

さて、最後にうまどしだけに、こんなことわざで締めたいと思います。

「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」

馬の良し悪しは、乗ってみなければ分からない。
人の本質も、共に過ごし、関わってみなければ分からない。

何事も、実際に経験してみて初めて見えてくるものがある。

2026年。
馬に乗る自信はありませんが、
人に寄り添う姿勢は変えず、
そして柔軟さも忘れずにいたい。

そんなことを思う、今日この頃です。

2026.01.26

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