訪問4コマ漫画㊺「推し活とリハビリ」
『推し活』→ アイドルやキャラクターなどの「推し」、いわゆるご贔屓を愛でたり応援したりする、「推しを様々な形で応援する活動」のこと。らしい。
2021年には「推し活」が新語・流行語大賞にノミネートされ、もう耳馴染みになったなぁと思う。
一説によると、日本人は昔から「推し活」好き!?と言われており、推し活文化は古くは江戸時代からあると言われている。
「推し活」による健康効果も研究されており、健康感、自己肯定感が高まったという報告もあるほどだ。
私は利用者様のADL、QOLを改善するために、推し活がどれほど効果があるかが、痛いほど(笑)よくわかっている。
とある利用者様は中高年のアイドル氷○きよ○の大ファン。
ベットの周りにはうちわやら、タオルやらたくさん飾ってあった。
普段は全くリハビリに意欲を示すことなく、身体の不定愁訴(しんどぃ〜とか、痺れる〜とかとか)が多く、
どこの小娘が勧める「歩く練習しましょう」なんて提案はもちろん受け入れず、取り組むことができない。
しかし、しかーーし、どうだろう。
普段ベットで過ごすことが多いにもかかわらず、推しのコンサートとなれば、何時間もかけて会場にいき、数時間のコンサートを楽しんで帰ってくるという、、。
推しのリハビリ効果、リハビリ実施率、ぱねぇったらありゃしない。
他の利用者様だってそうだ。
普段、脳トレなんて、見向きもしない男性利用者。嫌だ嫌だのオンパレード。
そんな時に、iPad使って、昭和の俳優の写真をチラッと見せようもなら、ウィキペディアにも書かれてないような、あんな話、こんな話(事実かどうかはわからないが)出てくるわ出てくるわ。
最後には「来週もこの機械(iPadのこと)使ってみせてよ。」と高度な交渉も交わしてくる。
つまりは、心が動けば、身体はもちろん頭も動くし、生活そのものにも変化を生むことができるのである!
こういう利用者様の様子を直に見ている、体感しているからこそ、
私は心が動くリハビリを!!と常日頃から感じるのである。
とあるご利用者様のお話だ。
乳がんによる骨転移にて大腿骨が病的骨折をした。手術することができず不適格な形で癒合してしまいベット上での生活が中心となってしまった方のお手伝いを数年行ってきた。
何かを改善するとか、よくなるために!という、目的でのリハビリではなく、現状を維持するため、不動による不快感を軽減するための
リハビリが中心、目標であった。
できることは少なく、果たして、自分のやっているリハビリはこれで良いのか?やる意味あるのか?と当時の私は感じていたのも正直な気持ちであった。
何年もお手伝いをする中で、いろんなことも話すようになった。
最近のドラマの話やアイドルの話、芸能人のゴシップ話などなど。
団地の奥様方がゴミ捨てがてらに繰り広げられるような井戸端会議をリハビリの時間にせっせとやっていたのだ。
口は動けども手は動かず、果たしてリハビリに来たのか?話に来たのかわからない日も正直あったと思う。
そんな時間を数年過ごしながら、最後は静かに亡くなられた。
亡くなられたあと、娘様との会話の中で
「母はリハビリの時間とても楽しみにしてました。アイドルとか、芸能人のゴシップ、恋愛話とか、とても楽しみにしていたみたいです。普段私とは全然しない会話なので。
恋愛の話しやちょっと下ネタの話の時とか、母のピンク色の部分がたくさん出てきて(笑)
とても楽しそうにしてて、私も嬉しかったです。」
ピンク色かぁ。
推し活も、きっと人間が本来持っている、ドキドキしたり、ワクワクしたり、キュンキュンしたり、そんな気持ちなんだろうと思う。
推し活の対象は、アイドルや芸能人である必要はない。
○○さんを見に行くために、毎週ディにいくのよ。とか。
○○さんがきてくれると、楽しいからとか。
そーいや、昔、ケアマネさんからのリハビリの依頼書の備考欄に
「イケメン男性スタッフ希望」
と書かれていたっけ(笑)
※マザースにはイケメンもイケジョも、そろってます。
私ごとになるが、我が母も大概のミーハーさんであり、推しがいようものなら、「なんでそんなこと知ってるの?」
というとこまで推しのことなら知っている。
久しぶりに、実家に帰った時のこと、
棚や壁に飾ってあった家族の写真が、当時推していた韓国俳優の写真に全て変わっていた。
えーーっと驚いたのも序の口、母の言い訳ったらありゃしない。
「あんたら(家族)の写真見てもつまらんもん、○○の、写真見てたほうがええやん」
推しの強さを実感しつつ、家族の絆ってなんで脆いんだと思ったのも束の間
母の部屋にもしっかり、どでかいポスターが貼ってあるのを見て
「あぁ〜、この人長生きするわ。」
と子供ながらに思ったのであった。
2025.02.10
訪問4コマ漫画㊹「元気の源」
これからの介護、人生、リハビリを考えると、、、
今回は訪問リハとは違った目線でコラムを書かせてもらおう。
私ごとになるが、先日実家に長らく帰省させてもらった。
家を出てからこんなに長く実家に滞在することはなかったので、大人になった私は改めていろいろ考える機会となった。
子供の頃お世話になったおじちゃんおばちゃんは、もちろん歳を重ね、怖いと思っていたおじさんは、なんだかこんなに小さかったのか?と驚くことも。
お菓子をくれてたおばちゃんの家には訪問看護の車が定期的に止まっていたり、近所のおじちゃんは、いつの間にかお星様になっていた。
景色こそ変わらず記憶のままであるのに、そこに住む人たちはしっかりと時間が経過している。
地元の広報を開いてみると、誕生した子供の数よりも亡くなった方の名前が多く書かれており、暑い日も寒い日も歩いて通った学校は数年後には廃校になることが決まっていた。
来年はいよいよ、日本の人口の約4人に1人が後期高齢者(75歳以上)となり、超高齢化社会を迎えることになる。
人口が減っている、若い人、働き手が減少している地域の2025年問題はどうなるのかな?とふと疑問に思ったのも正直なところである。
そこで、ふと目をやったのが
なう、ザ、後期高齢者のよくコラムにも出てくる我がばーちゃん。
昭和6年生まれのヒツジ年。最近はちょっと壊れたラジカセのように同じ話を繰り返すようになってきた。
腰は90度強曲がり、緑内障にて視力は少しずつ低下しいるにも関わらず、要介護認定非該当、いや要介護認定を受けていないのだ。(介護保険という言葉はしっているのだろうか?)
しかし、そんな体にもかかわらずADLは自立しており、未だにクワやカマをもって土をいじり、雑草と戦っている。(田舎の人にとって雑草ほど憎き相手はいないのだ。)
身内ではなく、自分自身が担当する利用者だった場合、
『もーやめな。危ないよ。』
『誰かと一緒にやってくださいね。』
と言って、行動を制してしまうだろう。
何故か?何故祖母にはその言葉をかけないのか?
身内ではあるが、療法士としての責任がないためであろうか?
なんと、無責任な身内であろうか、我ながら酷いなとも思う。
しかし、祖母の立場からしてみれは、できるんだからやる、やりたいからやる。
であろう。
2025年高齢者は増えていく一方、支える医療・福祉を担う働き手の不足は深刻な問題であることはいうまでもない。
働き手を増やすことはもちろんなのだが、1人で頑張れる人を増やしていく、つまりはよく聞く健康寿命を長く保つことは非常に大切なことである。
健康寿命を長く保つことはなにか?
これから問われる問題であろう。
もちろん身体的にも精神的にも健康であることは間違いないのであるが、それを活かす日常がなければ、健康寿命が保てないのではないのか?
祖母の例は極端かもしれないが、リハビリ職として関わらせていただく利用者様たちが、自分のやりたいことをやりたいと描ける、主張できるように関わるとともに、それを実現するためのチームとしての関わりが重要である。
ある日、祖母を探してもどこにもいない。
おーぃおーぃと呼ぶと、山から流れてくる沢のあたりから声が。
まだ若い私でも、そんなところに行きたく無い。
「なにしてんの?水流れてるんやから、滑ったは危ないよ」
「草が生えてるから、抜かないと」
昭和6年生まれ、生まれてきてから今まで草と戦ってきた祖母の執念たるや、理学療法士としての孫の想像の限界を超えてきたことはいうまでもない。
2024.12.16
訪問4コマ漫㊸「11月11日は、、、、!」
11月11日は、、、、!
皆さん、11月11日は何の日か知っていますか!?
あっ、『ポッキー&プリッツの日』と答えたそこのあなた。
ブブーーー。でございます。
医療、介護職についている皆様にはこう答えていただきたい。
そう、『介護の日』だと。
なぜ11月11日なのか?
厚生労働省のホームページより引用すると
「いい日、いい日、毎日、あったか介護ありがとう」を念頭に、「いい日、いい日」にかけた覚えやすく、親しみやすい語呂合わせ。
としたそうです。
私は個人的に、あったか介護のフレーズが好きで、初任者研修の時など、受講生方によく紹介する。
あったか介護を実現するために必要な事のひとつに(医療・介護業界に限った事ではないが)人手が必要だ。もちろん様々なテクノロジーの進歩にて以前よりも機械が担ってくれる仕事は増えたとはいえ、やはり人手ははずせない。
2023年小学生の将来なりたい職業ランキングにおいて、
男女ともに「医師」は10位以内にランクインしているが、介護福祉士とか、理学療法士とかはまだまだ小学生の将来像に及ばないのか、または認知もされてないのかもしれない。シクシクである。
訪問現場においては様々なご家族と遭遇する。
介護生活はそれまでの夫婦間や親子間の積み重ねによって形が変わるなと感じる。
とある夫婦のお話をしよう。
奥様が先に病気で倒れ、旦那様が介護する生活が始まった。
今まで家庭のことは奥様に任せっきりだった旦那様。
お子様もいなかったこともあり、旦那様にとって初めての主夫仕事と介護生活がスタートした。
70歳を超えての介護、主夫生活。きっと匙を投げたしたくなることもあっただろう。
しかし、周囲の助けも借りながらかれこれ10年以上在宅にて介護、主夫生活を送っている。
リハビリにて関わる中で、とても尊敬しあっている様子が垣間見え、旦那様の口から奥様の嫌な点や悪口は一切なく、むしろ自慢話、いやノロケ話のように奥様の若い頃の武勇伝や2人で行った旅行の話など話してくれる。
その話が聞こえているのか否が、奥様も目を細めてニヤッとする。
なんて穏やかな、あったかい介護生活なんだろう。と思う。
そんなご夫婦のお手伝いをできるって
いい仕事だと思いません??
そこのヤングな君たち!?(ヤングってもう死語かしら)
介護、医療の仕事は与えることよりも、吸収する、感じる、共感する場面が多く、自分自身の成長が技術や知識だけではなく人として、人生観そのもののブラッシュアップする機会があると思う。
介護の形は十人十色、いや万色と言えよう。答えもなければ、時代によって価値観、サービス提供体制も変わってくるだろう。
しかし基本はわすれてはならない。
私もいざ自分が介護される側に立った時のために、、、、
尊敬されるところあるかしら?と思う今日この頃である。
2024.12.16
訪問4コマ漫㊷「頑張る姿はオリンピアン級」
今年の夏は暑い。
そしてさらに熱を帯びる出来事としてパリオリンピックが開催された!
この記事を書いている最中、各国代表選手が様々な想いを背に戦い、その想いが我々を感動させる。そして興奮させる。
こんなに興奮したら暑いったらありゃしない。
選手たちの努力を惜しまず練習を重ね、目標に向かって突き進む姿。
ふとSさんの姿と重ね合わせてしまった。
Sさんは芯の通った男性であった。
S様は「黄色靱帯骨化症」という難病を抱えていた。
黄色靱帯骨化症とは、、、
脊髄(神経)の後ろにある黄色靱帯という靭帯が、骨化してだんだん大きくなってしまい神経を圧迫して、おもに足の麻痺を起こす病気である。足のしびれや、歩きにくさ、膀胱の働きの低下が認められる病気だ。
私がリハビリで初めてお会いした時はすでに下肢の麻痺が進んでおり自身で動かすことができず、室内でも車椅子を使っての移動であった。
白黒はっきりした性格で、難病であるにも関わらず申請するのが億劫だ!という理由で難病申請も断り、自身にとって何が必要だ!これをしてほしい!などはっきり伝えることができる人だった。
リハビリ介入した際もSさんからは
『これ以上、体を悪くしたくない。良くしたい。そのためのリハビリをやって欲しい』と
はっきりとおっしゃった。
そしてSさんの素晴らしいことは、決して受け身ではなく、積極的で努力家で、そして何より今まで出会った方の中で1番と言っていいほど野心がある方であった。
Sさんは奥様が先に旅立たれ、男1人住まい。しかしできる限りの身の回りのことはご自身で行なっていた。炊事洗濯も行なっていた。本人曰く、思いの外家事が好きだったと。自分の新たな一面を面白おかしく教えてくれた。
Sさんは両下肢が動かないため、室内も車椅子である。
皆さんは両下肢に力が入らない状態で車椅子からベットへの移動できるだろうか?
上肢の力を使い、お尻を浮かすようにして移動する。またはスライディングボードをお尻の下に敷いてお尻をズリズリと移動させながら移動する。
理屈は簡単であるが実際やるのは非常に大変だ。
Sさんは当時すでに80代。
しかし上半身はすこぶる鍛えておりベットの下にはとても高齢者の部屋にはそぐわないダンベルがゴロゴロと転がっていた。
『めっちゃ重たいダンベルありますね。』
何気なく言葉を交わすと
『自分で車椅子乗れなくなったら困るからね。』
と。
毎日鍛えているようだ。
そのため移乗動作もヒョイっとやってのける。
そして、リハビリ時間はいつも楽しく一生懸命だ。
一生懸命に頑張る姿に、指導したことを真摯に取り組む姿に、リハビリ冥利に尽きる想いでいっぱいであった。
Sさんとリハビリを重ねるなかで、ふと壁に飾ってあった車の写真に気がついた。
「Sさん、この車めちゃかっこいいですね。」
車好きだった私もついつい写真に食いついてしまった。
するとSさんは
「かっこいいでしょ、元気な時に乗ってたんだよ。」
「もう足が動かないから無理なんだけど、本当はまた車に乗って運転したいんだ。」
「こんな身体になって、本当に悔しい。」
と話してくれた。
普段は見せない姿だった。
「ヘルパーさんとかも、1人で色々頑張ってすごいですね。とか言ってくれるけど、本当はいろいろ悔しいんだよね。こんな身体になって」
私はすぐに言葉を返すことができなかった。
なぜなら、
いつもSさんの難病を患っても頑張る姿や、80代の人とは思えない身体能力など、見えている部分ばかりみていた。
「すごいですね。」とか「頑張ってますね。」とか声をかけていた。
それがSさんにとっていい事だと思っていたからだ。
Sさんが見せた、いつもと違う姿はそれっきりでそれ以降もいつもと変わらず努力を惜しまず、前向きにリハビリを取り組んでいた。
在宅現場では本人のやる気を出してもらうためや、頑張っていることを認める、共感するために前向きな言葉を書けることが多い。
しかしそれだけでは本人の気持ちを汲み取ることができているのは言えないと切に感じた。
よく、共感力とか、相手の気持ちに寄り添うとか介護や医療の現場では聞くが、真の意味での共感するとはどういう接し方なのか、いま一度考えるきっかけをいただいた。
ある時、Sさんが移乗動作の時にうまくスライディングボードがはまらないと相談受け、私がレクチャーしながら指導する時があった。
Sさんとは別の理由で私は自分のお尻の下にスライディングボードを敷くことができなかった。残念な状態である。。。
「Sさん、ちょっと私うまくできないんですけど、こーすればお尻の下にボード挟めると思いますよ。」
「そだね、僕よりお尻の肉が沢山あるからね。」
Sさん、そこは共感力、いや察して欲しい。。。
それからしばらくして、私は担当を離れてしまったが、、、
Sさんはきっと今も努力を続けているだろう。
その姿は、オリンピック選手にも肩を並べると私は思う。
その努力の先にぜひカッコいい車を運転していているSさんがいることを今も願っている。
2024.09.11
訪問4コマ漫画㊶「生きることへの執着心」
今年も暑くなりそうだ。
ほんとに暑くなりそうだ。
先日、夏の象徴「サザンオールスターズ」が夏フェス卒業を発表された。理由は『高齢者バンドにとって、令和の夏は暑すぎるよ』と。サザンも警告している。
我々が警告するよりもよほど効果がありそうだ。(笑)
最近、とある利用者さんが発した言葉がえらく脳裏に刻み、ついつい思い出してしまう。
その方は生まれつき先天性の病気を患い戦ってきた。ご自身でできることは行なっており、福祉用具やヘルパーを利用し自立した生活を送ってきた。しかし、病気ゆえ骨が脆く骨折。今までできていた事が急にできなくなり、また焦りと不安で精神的にも不安定になっていた。
本人にお会いした際、本人の中であらゆる可能性や今できる事など考え、より一層頭の中が整理できず決断できない状態になっていた。
本人から「いろいろ相談しているのに何も決められなくて、、。生きる事に執着心が強くてすみません。」
と。
『生きる事への執着心』
その気持ち、訴えに私は答えてあげたいと切に感じた。
普段私は『生きてる〜』と感じることはあるだろうか?
えっ!?仕事終わりにカラッカラの身体にビールを注入する時!?ですって??
確かに!生きてることを実感する。
医療、福祉に従じる者として『生』と『死』は隣り合わせ。
特に在宅でのリハビリでは生きること→生活すること→人生を送ること。
と私は感じている。
しかし現場では、対処療法になってなかろうか?
と振り返る。
原因に対して、最たる方法、リハビリを提供する。
・痛みがある→痛みをとる治療を行おう!
・筋力が低下して転倒リスクがある→筋トレ、自主トレをしよう!
・歩く事が不安定→歩行器を導入しよう!
とまぁこんな感じだろうか?
果たして、先ほどお話しした利用者さんはこの対応で生きることへの執着心は満たされるのだろうか?
難病だったり、動脈瘤だったり、どこかしら身体に不安がある人はその事への不安や心配ゆえQOLが下がるという研究があるそうだ。
つまり、いくら身体的に、環境的にベストな方法を提案しても不安や心配事へも向き合わないとQOL、本来の「生きる」ことへ支援にはなってないのかも?と。
生きる事への執着心
その置かれた立場、生きてきた経緯や環境で「生」への向き合い方はいくつもあるだろう。
どの向き合い方をしても尊重し、寄り添っていけるようにしていきたいと思う今日この頃た。
2024.09.11
訪問4コマ漫画㊵「上手い」療法士って??
「上手い」療法士って??
4月もあっという間にすぎてしまった。
訪問業務の良いところは、行く先々で花見ができることかもしれない。
皆さんは今年の桜は楽しんだであろうか?
さてこの4月、私も理学療法士になり17年目。
先日、同期と話ながら
「あっという間だねー。」
「いま、国家試験受けたら落ちるよね笑笑笑」
なんて話を交わしたのだが、
理学療法士という資格を持ち働く場所は病院や在宅、施設と様々あるが理学療法士一年目の私は、まさか自分が将来訪問業務に携わっているとは思いもよらなかった。
先日ニュースで、「入社したばかりの新入社員がもう退職⁉︎」なんて報道を聞いた。
びっくり‼︎したのはもちろんであるが全く共感できないわけではない。
私も理学療法士一年目のころ、描いていた理学療法士と先輩方の働く姿、また現実を目の当たりにして「なんか違う。」とか、「こんなはずでは。」という気持ちがあったのは正直な気持ちだ。
当時の私は「上手い理学療法士」になろうと思っていた。
「痛みもとれて、患者さんを良くする理学療法士。」
オールマイティな理学療法士を目指していた。
まだまだ青いぜ。あたし。
痛みはとれないし、患者さんとうまくコミュニケーションがとれない。
良かれと思った指導が定着しない。
幾度となく壁にぶち当たり、悔しい思いもした。
仕事中にトイレに逃げ込み、奥歯をぐーーっと噛んだことも。
理学療法士という仕事が嫌になることも沢山あったなぁ。と今は懐かしく思う。
さて、ここで上手い理学療法士とはなんだ?と自分に問いただす。
私が一年目に描いていた「上手い」とは技術のことであり、理学療法士としての知識や技術面ばかりを磨こうと思っていた。それが患者様のためにつながると思っていた。
私もこの17年の間に、現場を経験し、後輩を指導し、リハビリチームの管理者を経験し、
いわゆる患者様、利用者様にとってのリハビリは我々が単に技術を提供するのみではよくならない事を経験し感じたのである。
とある療法士は目に余るところが色々あり大丈夫かな?と思っていたが、認知症の患者様とのコミュニケーションがうまくリハビリを進めていくのがうまかったり。
とある療法士はすごく知識も技術も豊富なのに、利用者様からクレームや担当変更の要望があったり。
なかなか難しいのである。
今、私が思う上手い療法士、そして今後目標とする理学療法士像は、
『明日が楽しみだ』という気持ちを持ってもらえるような関わり方ができる理学療法士だ。
痛みがとれた!歩けるようになった!という技術面はもちろんのこと、前向きな気持ちになったり、次回が楽しみになったりするような関わり方をしていきたいと思う。
私が理学療法士の免許を取得し、さぁ4月から働くぞ!という場面で祖母が言った一言は今でもよーーーく覚えており、
『年寄りには優しくするんで。優しくされると嬉しいけんなぁ。』
当時は『優しい』の意味をそのまま受け取っていたが、今は深く深く『優しい』の意味を考える。
話は戻るが、先ほどの同期との会話の中で良かれと思ったことが仇となった話を思い出し、吹き出したことがある。
入浴動作指導の際、
安全面を考慮しシャワーチェアやバスボードなどの福祉用具を提案、購入を進めた。
するとその利用者様から
『○○さんに椅子を買えと押し売りされた。』
と病棟で噂になってしまった。
看護師さんからも、
「○○さんが、リハビリの時に椅子を売られそうになった!って他の患者さんに話してたわよ。」と笑いながらつたえてきたっけ、、、
押し売りって、、、と当時は半分笑い、半分悲しくなったが、今となっては笑い話である。
2024.09.11
訪問4コマ漫画㊴「写真の整理をしていると、、、」
写真の整理をしていると、、、
桜の季節になってきた。
今年の桜は当初予定していた開花の時期よりも遅くなり、のんびりしてるなーという印象であろうか。
前にも話したが、桜の季節は利用者様を外に連れ出すにはもってこい!の季節であり、
また猛暑と呼ばれる時期が来るまで、いや梅雨の時期までが1年間を通して利用者様を外に連れ出すゴールデンタイムだ。
利用者様の中には知らない地域の施設に入っていたり、自宅から出たくても家族に頼めないとか、一人では心配で外に出れないといった理由で籠って生活を送っている人たちが多くいらっしゃいる。
ぜひ、そういう気持ちを抱いていたり、なかなか外に出れない方にはリハビリを上手く利用して欲しいと思うくらいで。。。
さて、私はよくリハビリ中に写真を撮る。
普段と違う環境や状況で見られる利用者様の表情は穏やかでにこやかで、そして撮った写真をご家族と共有してすると、とてもとても喜ばれるのだ。
先日、いままで撮り溜めた写真を整理していると、ちょうど今から7年前、2017年に撮った写真が出てきた。
東京の某有名桜スポットにて、車椅子を押しながら出向いた時の写真であった。
7年前の私はもちろん若く、現在の衰えと比較してゾッとしたのは言うまでもないが、、、
図々しい私は周りの人にシャッターを押してもらい、ツーショット写真を撮っていた!
ニコッとピースサインをしながら映る利用者様。しみじみいい写真だなーと感じる。
ツーショット写真を撮った利用者様はいまもお手伝いをさせてもらっている。
しかし当時と違うのは、桜の季節になってもなかなか一緒に外に出られる状態ではなく、窓を開けて春の空気を感じるのが精一杯ということだ。
訪問リハビリで関わる利用者様は多岐にわたるが一人一人長くお付き合いさせてもらう方が多い。
病院勤め時代は入院中という限られた時間の中でのお付き合い、リハビリが主になる。
在宅現場では退院などの決まった期限はなく、利用者様によっては年単位でのお付き合いがほとんどだ。
私も長い方だと10年お付き合いさせてもらっている方もいる。
まさに人生の一部に関わらせてもらっているといってもいいだろう。
その時、その時で何がベストなのかは変わってくる。優先順位も変わってくる。
場合によってはリハビリの必要性も無くなってくることもある。
今日も私は、一緒にピースサインをした利用者様のリハビリを行なっている。
ピースサインをした頃はちょっとした会話も楽しんだ。
今は意思疎通が難しく、関節拘縮予防などリハビリの目標も変わってきた。
でも気持ちは変わらない。
今年も春を感じてほしい。
外に連れて行くことは難しいかもしれないけど、「春になりましたねぇ」なんて声をかけても、「いい季節ね」なんて、返事はもらえないかもしれないけど、
以前と変わらぬ気持ちで一緒に春を楽しもうかな。と。
そう思いながら、早く咲かないかなーと窓の外を眺めつつ、いろいろか思い出をふと思い出す今日この頃のリハビリであった。
2024.04.21