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訪問4コマ漫画㊳「スーダラ節と私」

先日、私が自身が治療を受ける機会があった。日頃の不摂生にて身体はボロボロになっているのは言うまでもなく、医者の不養生なんて言葉もあるが、まさしく「リハビリ不養生」状態であり、胸を張って利用者さんに健康をお伝えする資格は、、、?と反省をしたのであるが。。。。

治療の中で先生からは、日頃からあーしてください。こーしてください。
という指導、アドバイスをいただいた。

日々忙しくしている私にとって、先生からの指導は有り難いものではある一方、「先生、、、無理っす」と心の中で唱えてしまった。

私自身の生活の中に組み込むことができず、先生からの指導もついつい右から左へ〜と抜けてしまう感覚を持ったのだ。

ふと、自分のリハビリ場面を思い出す。
なかなか自主トレが定着しない方、生活指導が守れない方などいままでたくさん出会ってきた。

もちろん本人の意識の問題、意欲の問題。

良くなりたいと思うなら頑張りなさい!

と言ってしまえばそれで終わりであるが、果たしてそれは適切な指導、利用者と向き合うことであろうか?

私が理学療法士の免許をとり始めて担当したKさん。
70代で糖尿病により下肢の切断を余儀なくされたKさんのことを思い出す。

緊張いっぱいの新人PTの私。

下腿切断という術式にてどうしても膝が曲がって固まりやすい。

糖尿病の影響により切断部の傷口の治りもあまり良くなく、糖尿病の治療をしながらリハビリを行っていくという状況であった。

義足をつけて歩けるようになることをひとつの目標としリハビリも実施していった。

ある日リハビリの時間になりK様を病室に呼びに伺った。

カーテンを開けると、私に背を向けた状態で丸くうずくまるKさんを発見!

「リハビリの時間ですよ〜。」

声をかける。

振り返ったKさんの手にはあんぱんが。そして口いっぱいにあんぱんを頬張り、バツの悪そうな表情を浮かべる。

「Kさん、あんぱんなんて食べたらだめですよ!看護師さんに怒られますよ!」

私が声をかける。
するとKさんは、、、

「やめられねぇんだぁぁぁ。」

とこぼす。

まさに植木等の『スーダラ節』が私の頭の中を流れる。

「わかっちゃいるけどやめられねぇ」

その時、新人の私は、こりゃ治らないなーとそこまでしか思考を巡らせることができなかった。

しかし今の私は、PTとしての経験を積み、訪問という人生の現場を多く渡らせてもらったことにより、Kさんの気持ちもわかるし、きっとかける言葉も違うであろう。

皆様も在宅の現場においていわゆる困難事例と言われる方も多く出会ってきたのではないだろうか。

・指導しても、定着しない。
・だめだよ、危ないと言ってもやってしまう。
・意欲がない。

ケアマネさんはもとより、関わる多職種の方も手を焼くかたはいる。

そのような方に対して、
まさに、あーしてください。これはだめですよ。と指導する事も多い。しかし定着するどころか、指導することさえもだんだん、なぁなぁになってくる。

専門職として、指導すべきことをしないことはきっと、道理に反するのかもしれない。

しかし我々の本当の使命はなんだろうか?

きっと指導することだけではなく、本人の生きる意欲や楽しみを引き出し、本人の内的動機付けをくすぐってあげることではないだろうか?

そのためには見て見ぬふりも時には効果を発したり、本人に役割をあえて与えてみる事も効果的だろう。

その匙加減は難しい。

しかしその匙加減によって利用者様の未来、生活が変わってくることはきっとあると信じている。

さてさて、新人の私よ。。。

Kさんと一緒にスーダラ節を歌うくらいの余裕ができればきっと君も本物さ。

なんて偉そうに言いつつ、

スーダラ、、、いや、グータラな日々の不摂生を肯定しようとする私は、

まさに令和版、わかっちゃいるけどやめられないの典型であろう。

だれかこの困難事例の私に適切な指導をしてほしい。

2024.03.09

訪問4コマ漫画㊲「気遣いを学ぶ。」

よくテレビでも、「○○さんは気遣いができる!」とか「あの人は気遣いの人」とか。人を評価、賞賛する際によく使われる「気遣い」という言葉。

気遣い: うまくゆく、または失敗しないように、気をつかうこと。と定義され、
気遣いができる人とは「相手がしてほしい、されたらうれしい、心地よいことを察することができ、それを積極的に言葉にしたり行動に移したりできる人」とされる。

我々医療、介護職においては非常に大切な能力であり、常に専門性を活かしながら相手(利用者)がされて嬉しいことや、心地よい時間を提供するのが最高のサービスであろう。

しかし、我々リハビリ職においては、気遣いとやり過ぎは区別して考えなければならない。

良かれと思って、、、相手が喜ぶと思ってとった行動が本人の「自立」を妨げてはならないし、時には見守ることも、見て見ぬふりをすることも実は大事であることは言うまでもない。

この仕事は世代が幾分も違う方と接するため、気遣いの観点や考え方も違うなーと思う事が多い。

Aさんの話をしよう。
Aさんは御年94歳。ご年齢の割には見た目も認知機能もしっかりしており、自立心の高い方である。人様の迷惑にならないように!が口癖の方である。

物のない時代、大事にする時代を生きてきたからであろう。何でもかんでもゴミとして扱わず、まさにSDGs。最後まで使い切るように工夫して生活をされている。

そんなAさんはディサービスにも通っている。初めは嫌だ嫌だと言っていたが、今ではリハビリの時間にディサービスでどんなイベントがあった!だとか、昼に食べた物が美味しかっただとか。まるで今日あった出来事を親に一生懸命伝える子供のように話してくれる。

そんなしっかり者のAさんは私の行動や仕草をよく見ている。

とある日のこと

「メモ紙いらない?」

と言われた。

出されたのは、いわゆる裏紙であった。ディサービスなどで配られる紙を大事にとって、裏面をメモ帳として活用していたのである。

普段から裏紙を仕事中に使ってる私をよく観察していたのであろう。溜まったメモ帳を私にプレゼントしてくれたのだ!

私は快く受け取った。
物を大事にする姿、見習わないとな!
と感じたのだ。

それからしばらくして、

「まだメモ帳残ってる?また沢山できたからどう?」と。

よくよくAさんの行動を観察するとメモの山が2つできている。

『はて?』

と感じた私は

「なんで2つにメモ帳分けてるのー?」

と何気なく聞いた。

「これはね、印刷面が濃いと、裏に移っちゃうでしょ。そうするとメモ帳でも嫌じゃない?だから分けてるの。先生にプレゼントするのは印刷の薄い裏が白い紙のほうよ!」

なんと、Aさんは裏紙を再利用するだけでなく表面の印刷の濃さ、色移りまで気を使い、最高の裏紙メモ帳を私にプレゼントしてくれていたのだ。

正直いままでそんな事気にしたこともなく、裏紙なんて書けりゃいいだろ!くらいに思ってたガサツな私は、すごく感動し勉強になったと思ったのだ。

気遣いの仕方、方法、考え方は人それぞれであろう。受け取り方もそれぞれだ。

しかし私は

せっせと裏紙をハサミで切り、仕分けして、綺麗に揃えてプレゼントしてくれるその背景までも浮かび嬉しくなったのだ。

人から学ぶことは非常に多い。

特に世代の違う方々から学ぶことは教科書には書いてない。
ジェネレーションギャップだとか時代にそぐわないとか、そんな言葉で片づけるのはもったいない。

幸いなことに、この仕事は日々色々な方と接する。
今日もほっこりする出来事や、ぷっと笑う場面を目の当たりにし、相手の気持ち、気遣いを全面に感じながら、仕事をさせてもらうことに感謝をし、いただいた気遣いを私なりの形でお返しできるよう頑張ろと思う、、、

さむーい寒い訪問移動時間とっては心温まるエピソードであった。

2024.03.09

訪問4コマ漫画㊱「2024年を考えよう。」

2024年を考えよう。

 

2024年幕開けである。
今年はどんな年になるだろうか?

目下予定されている大きなイベントとして、パリオリンピックや紙幣の刷新。

そして我々医療、福祉業務従事者としては「6年に一度のトリプル改定」が待っている。

医療・介護・障害福祉の診療報酬改定が同時に行われる年である。

さてずっと前から言われており耳にタコである2025年問題を目の前にして行われる改定であり重要なのはいうまでもない。

2025年問題
「団塊の世代が、すべて75歳以上の後期高齢者となる」ため医療・介護のニーズが急速に増大してしまうという問題だ。

聞くだけで、大変だぁぁぁ。と感じる一方で私は違った目線から2025年問題を考えたい。

そもそも団塊の世代とはどんな世代なのか?

団塊の世代とは1947年〜1949年に生まれた世代を指し、バブル期や平成不況世代を経験してきた世代である。

時代背景としては高校や大学に進学する人が増加した。いわゆる「学生運動」も見られた世代である。
また高度経済成長期による好景気を経験し、「努力は報われる」という感覚を持っている方が多いと言われる。
そして常に生存競争の激しい渦中にいた事もあり競争意識が強い傾向にある世代と言われている。

さて話は変わるが、現在日本では人口は減少傾向にある一方、2040年までは死亡数は増加傾向にある。そして「人生の最終段階における医療・介護」に関して改めて考えさせられている。

対象となる高齢者の世代が徐々に変わってゆく中で人生の価値観、生きること、死に対する価値観もおそらく変わってくるだろう。

以前コラムにも書いたことがあるが、我々リハビリ職が「終末期」に関わる事は少ない。
リハビリと聞くと良くなる、改善するというイメージもあり、終末期においては回復の見込みが低く、看取りを迎える時期にリハビリを行う必要はないのでは?(できないのでは?)と、考えるかたも多いだろう。

しかし終末期におけるリハビリの役割、効果も実例としていくつもあり最期まで自分らしく、希望を持って一日でも長く笑顔で過ごすために、リハビリはそんな思いを叶えることを支援する。

その人らしいさを理解するうえで、世代背景を理解することもとても大切でと感じる。今、お手伝いさせてもらっている高齢者は80代後半から90代の方がほとんどで、戦争を経験した方がほとんど。話題も戦争の話が多い。

きっとこれからは違った話が繰り広げられるだろう。

その人を理解しリハビリを提供する上で、私は本当にその人がやりたい事を提案したい、支援したい。

極端な話、私は「運動しなければならない。」といった運動を強要するような関わり方、支援の仕方はしたくないのだ。

「やりたい事、目標」の手段としてリハビリ、運動があれば理想である。

そして、やりたい事を引き出す関わり方も世代が変わっていくにつれて変化させていかなければならないだろう。

先日、とある利用者さんと2024年どーする??なんて会話をした。長く付き合っている利用者様。なんでも、フランクに話ができる間柄である。

「私はね、美しいものが全てなの。最期まで美しくいたいの。見た目がすべてよ。」

「、、、、、。」

なるほど。

2024年のリハビリ計画練り直し。笑
いかにお気持ちに応えられるか。
私の美的センスも問われる課題。

さて、色々な人生に関わられてもらえる訪問リハビリ。私も価値観を広げてブラッシュアップしていきたい!

2024.01.22

訪問4コマ漫画㉟「あっという間に時はながれる。。。」

あれまぁ。
2023年もカレンダーがあと1枚になってしまった。
日本人のサガであろうか。12月と聞くだけでなんとなく気忙しくなってしまうのは。

この時期、利用者様方とのコミュニケーションで出てくるのはほぼ同じフレーズ。

『一年あっという間ねぇ。』

ほんとに、あっという間に過ぎ去ってしまった。

担当している利用者様の中には、

去年よりもできることが増えた。生活が変わった。

という方もいるだろう。中には

去年よりも外を歩けなくなった。誰かに手伝ってもらうことが増えた。

という方もいる。

そして、なーーんにも変わらない。なんて方もいるのではなかろうか。

在宅においてリハビリは週に1回、または週に2回ほどご自宅にお邪魔させてもらう。

何事もなければ
いつものように、リハビリプログラムを行なって、
いつものようにお話しして、1回の訪問が終わる。

そう「いつものように」は一見、利用者様の生活、身体機能が安定しており、いい事のように見えてしまうが、裏を返せばいつものようにに慣れてしまうと、ちょっとした変化や兆候に気が付かなくなるという恐ろしさもあるのである。

皆さんは、某テレビドラマ『家政夫のミ○ゾ○』をご存知だろうか?

スーパー家政夫のミ○ゾ○さんは洞察力・観察力が鋭く、派遣先の様子を見て、その家の問題を炙り出すのが得意。そして依頼者からの信頼を得るのが早く「痛み入ります。」が口癖だ。

私は訪問リハビリにおいて目指す姿に、ふとミ○ゾ○さんを描く時がある。笑

確かに、適切なリハビリプログラム、治療を提供し身体機能、生活動作を改善したり、安定させることはスーパー家政婦ならぬ、スーパーリハビリとして大事なことだ。

しかし私は、それだけでは利用者様の変化に気がつけないのではないかと思うのだ。

スーパーリハビリに必要な能力として

①五感を働かせて生活の変化を感じ、鋭い洞察力、観察力にて身体機能の変化を炙り出す。

部屋の匂いはどうか?お薬の管理は?などから始まり、いつも変えていた掛け軸がずっと同じままだ。とか、花が前ほど飾ってないだとか。一見、身体機能、生活には関係なさそうに見えて実は何かの兆候である場合があったり、リハビリを提供する上で本人の動機づけになるエピソードだったりする。

そして

②本人から話してもらえるような信頼関係を作り。
訪問してない時間に何か変わったことがなかったかとか、本心だとかを話してもらえる関係性を作る。

人間、失敗エピソードや恥ずかしいエピソードは隠したがるものである。
しかしそれが身体機能の変化の兆候であったり、早めに手を打っていれば解決できた問題だったかもしれない。
また、不満や愚痴を話してくれる関係作り。
「なにかやってもらう」という立場にいると、ついつい遠慮がちになってしまう高齢者。そのため本心ではなくてもつい首を縦に振ってしまったり、理解が追いつかず周りのスピードに巻き込まれて、本心を伝えられず、、、蓋を開ければ本意ではない結果になっている事も沢山ある。そうなるとやる気が出なかったり、何のために、、、という気持ちが生まれるのも仕方ないことではなかろうか?

上記2点の能力。
まさにミ○ゾ○さんがもっている能力ではなかろうか。

在宅現場は本当に忙しい。

そして記録や書類業務などやる事が多くついつい「いつものように」をこなしてしまっている時がある。

カレンダーも残り一枚のこの時期。

私は利用者様とゆっくりこの一年を振り返る時間を大事にしている。
私がミ○ゾ○さんのごとく気がついた事や感じた事も共有しながら、利用者様本人にも気づいてもらったり考えてもらうようにしている。
そして来年はどんな年にしたいか。を一緒に考える。

さて私のことを振り返れば、このマザース通信4コマ漫画。数えること30話を超えた。毎回の絵のクオリティは、、、(;_;)

それでも「楽しみにしてます。」のお声をいただくとやる気が出るわけで。

『痛み入ります。』

来年も頑張ります!

2023.12.27

訪問4コマ漫画㉞「屋外歩行練習には目的を!」

秋になった。いや、やーーっと秋になったといえよう。

金木犀の香りを感じ、空の青さを見る余裕も出るこの頃。訪問業務を生業としてる者としては1番最高の季節ではなかろうか?

えっ?春もいいって?
私は花粉症なので、春の訪問はある意味地獄なのです。

さて、リハビリを提供する私としては、この季節は利用者様たちを外に連れ出すのにうってつけの季節。

「暑くて〜。」「寒くて〜。」という利用者様のイヤヨ!!イヤヨ!!発言も通用しない季節だからだ!

あんなに上手い理由をつけて外に出ることを拒んでいた方も、ついつい外に出たくなる季節なのだ。

さて、屋外歩行推しの私だが、

「そんなに屋外歩行練習は効果があるのか?」

と思う方もいるだろう。

屋外歩行練習の効果はきっと科学的にも証明されてるとは思うが、私は以下3つに重点を置いている。

①運動能力、バランス機能への効果
②認知面への効果
③精神賦活、生活への刺激効果

である。

①は説明しなくとも想像つくであろう。家の中と違って外に出るということは、靴を履き替えたり、段差を昇降したり、対向車に気を遣ったりと多くの機能が必要となるのだ!

②は外に出ることで季節を感じたり、目から入る刺激がいつもとちがっていたり、すれ違う人と挨拶を交わしてみたり、とある研究でも屋外歩行練習が認知面の効果があったと示されている。

③に関しては、私が1番屋外歩行練習に期待することで、
外に行くとなれば、着替えるであろう、鏡を見るであろう。気持ちもスッキリするかもしれない。張り合いのない毎日に何か刺激ができると感じる。

とまぁ、あげればキリがないのだが、そー簡単に屋外歩行練習を実施できるかというと、そうでもない。

そこに目的があるか、否かは屋外歩行練習が成功するか否かの重大ポイントなのだ。

Aさんも言わずと知れた、外に行くのがイヤヨイヤヨタイプの方。歩行能力は見守りレベルのため、外を歩くこと自体は問題ないのだ。

しかし高齢者特有だろうか、何事にも対しても後ろ向きの、もーダメよタイプ。

家族としては歩けなくなるから、とAさんへ外歩きを促すもそこは負けてないAさんは「もうお迎えが来るから」と家族の提案は拒否なのだ。
実際は医師からむこう10年は大丈夫だとお墨付きにもかかわらず。

そんなAさんには屋外歩行練習を実施するにあたり、目的ならぬ役割を与えることを重視している。やや恩着せがましいかもしれないが、これが意外と効果テキメン!

・この手紙ポストに入れてきて。
だとか。
・○○取ってきて。
だとか。

特に用事がないときは、
「一緒に○○見に行こうとよぉ〜」
と甘え口調でお誘いしてみることも。

確かに本人自ら外に出る目的を見出せる方がいい。買い物に行くだとか、次は○○まで歩くだとか。しかし、自分のために動くというのは意外とスイッチが入らないもので、誰かのためにとなると、ポチッとスイッチが入るのだ。

今日もいい天気。屋外歩行練習にはうってつけだ。
Aさんは今日もイヤヨイヤヨの口調だ。

さて今日はどーやって外歩き誘おうか?

「金木犀の香りいい感じだから、行ってみない??」

「あたし、金木犀の香り嫌いだから、トイレの香りみたいで嫌なの」

地雷を踏んだ。

Aさんをデート(屋外歩行練習)に誘うための口説き方という独自のマニュアルに「金木犀は禁」と付け加えたい。。。

2023.11.09

イベント参加報告~RUN伴+なかの2023~

2023.10.18

訪問4コマ漫画㉝「リハビリは恋の駆け引きと似てる???」

恋の駆け引き、、、久しく、久しくしてない。。笑
最近はSNSの普及もあり、LIN○の駆け引きテクニックなど手法も沢山あるようだ。

「駆け引き」は辞書的な意味だと「相手の出方や状況に応じて、自分に有利になるように処置すること」と書いてある。
恋愛においては「気になる相手を振り向かせるためのテクニック」とな。。。

しかしこのテクニック、リハビリの場面でもよく直面する。。。ような気がするのである。

介護・医療保険におけるサービスの導入に関して、すんなり導入できる方ばかりではないのはケアマネジャーの方々であれば重々承知、いや何度も経験し頭を悩ませている要因の一つであろうと思う。

リハビリに関しても同じで、いざサービス導入になった!めでたしめでたしの方ばかりではない。サービス開始になったものの頑なに「NO!リハビリ!」と拒否される方も多い。または「続かない」という方もいるのだ。

私が訪問を始めて間もない頃、「膝が痛くて歩けないためリハビリを!」という依頼があった。

初回介入時、私は正しいことをした。
膝のために、痛みを取るための歩けるようになるリハをした。

しかし、初回介入後、ケアマネさんより連絡が来て「○○さん、リハは自分に合わないから、、、なので今回は、、、」というお断りの連絡だった。

当時の私は、なんで?という疑問しか残らず、自分が何か気に触る事したか?痛みを増加させたか?とそればかり考えた。

今振り返ると、当時足りなかったかモノは「続けてもらう」という意識だ。

「リハビリをやってもらう」ことを当たり前と思っていた当時(病院勤めの感覚が抜けなかったのだろう)、断られるなんで思いもしなかったのだ。

リハビリとしての正しいことと、利用者さんが続けたい!と思うことはイコールではないのだ。

私がリハビリの駆け引きテクニックとして意識しているのは、、、

・命に関わらなければ、必要以上に相手をコントロールしないこと。

・明日が(次が)楽しくなる、楽しみになるような関わりを常に心がけること。

 

つまりどういう事かというと、利用者さんによっては「腰に負担かかること毎日やってるなー」とか、「その動作危ないよなー」とか思う事はある。

しかし、あれはダメ、これはダメ、こーしなさい、あーしなさい。と指導してばかりだとどうだろう。いくら人生経験が長く懐も深くなった高齢者の方々といえど、窮屈になるのではなかろうか?

そして、また来てほしい!そう感じてもらう関わりが大事だ!

もちろん身体的に楽になったとか、痛みが取れたという変化にて次を楽しみにしてもらうのは嬉しいことだが、そればかりではない。

1週間のうち我々が関われるのはほんの僅かな時間だ。その僅かな時間がいかに楽しい時間であったかと思ってもらうのが、続けてもらうために大事だと思うのだ。

 

 

とある大学では、恋愛学などの授業もあるそうで人気だそうだ!
ぜひ、全国のリハビリ養成校においても、骨や筋肉の授業ばかりでなく恋愛学とリハビリとでも名付けようか?そんな授業かあってもいいのではないだろうか笑。

さて最後Kさんを紹介しよう。こちら絶賛駆け引き、失敗中の方である。少し認知症もあり何事にも嫌だ!が先行してしまう。

様々なサービス導入を提案したがなかなか受け入れなく、やっとのことリハが介入できるようになった方だ。
Kさん、リハビリは続いているものの、運動は断固拒否のタイプの方。ちょっと運動すると「あーーもー苦しい。もーダメ」と言って積極的なリハ介入ができてないのだ。

毎回、「外行きましょ」とお誘いするも、連敗中。振られてばかりだ( ;∀;)

困ったなーと思い、精神科の病院で働くOTさんに相談したら、「押してダメなら引いてみろ」とまさに恋愛テクニックを伝授されたのだ。

ある日、、、
「Kさん、運動あまり好きじゃないでしょ。今日のリハはやめよっか?」と提案。Kさんやったーとばかりに、何をすることも無く、1時間やり過ごした。
そして翌週も同じ声掛けをすると、どうだろう。。「今日は外歩こうか?」と自ら言い出したのだ!短い時間であったが、念願の外歩きを取り組む事ができたのだ。

調子に乗った私は、次回もそのテクニックを使おうと試みた。が、しかしだ、、、Kさんはそれ以降、テクニックに乗ることなく今に至る。。。

 

今日もまた私は振られるであろう。
もはや、そのやりとりさえもルーティンになってる笑

誰か、あっ!そこの恋愛マスター!!
いいテクニック教えてください!
待ってます<(_ _)>

2023.08.30

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