訪問4コマ漫画㉚「地域で生きる、支える!」
先日、こんな話を耳にした。
とある高齢女性。近所に買い物に行くにあたりスーパーなどなく、自宅から坂を登った場所にあるコンビニに1人で買い物に行ってるそうだ。
すると、コンビニで買い物したあと、店の定員さんが「おばぁさん、危ないだろう」と、毎回坂の下まで荷物を持って運んでくれていると。
なんとほっこりするエピソードであろうか?
何気ないエピソードであるが私はそこから地域で生きる、地域で支えるとは?何だろう?と考えてしまう。
住み慣れた地域にいつまでも暮らすために地域包括ケアシステムというものがある。
「人口減少社会における介護需要の急増という困難な課題に対して、医療・介護などの専門職から地域の住民一人ひとりまで様々な人たちが力を合わせて対応していこうというシステム」のことだ。
Tさんもこの地域包括ケアシステムに加えて、ご近所ケアシステムによって立派に日々生活を送ってる方の1人だ。
Tさんは大腿骨を骨折してしまい入院。リハビリを経てなんとか屋内の移動を1人で行うことができるくらいまで回復し退院となった90代の女性である。
90代となれば友人もひとり、またひとりと旅立ち社会的な交流も少なくなる。そのため引きこもりがちとなり、活動量も少なくなりだんだん身体機能が低下していく。
自分らしく生きると言う点においても、日々楽しみ、張り合いがなく、生きているよりも、ただ生かされているという感想を聞く事も少なくない。
しかしTさんは、退院したその日から近所の誰かが噂を聞きつけて来訪し、
「あなた、大丈夫?よかったわね、帰ってこれて。」
「いやぁねぇ、やっとよー。もう私もだめよー。あははは〜。」
なんてやりとりを一通りしていた。
それからと言うものの、リハビリで訪問したら必ず誰かお客さんがきている。
社会参加を促すためにもディサービスに通うことも案にあがったが、本人が前向きになれず利用することはなかった。しかしディサービスと同等の社会参加は我が自宅で行われていたのであった。
Tさんは退院後も身体機能の改善を見せ、見守りにて近所を歩くことができるようになる。そしてヘルパーさんの手も借りながらスーパーまで買い物も実行することができた方だ。
さすがリハビリの力だね!なんて思うかもしれないが、果たしてこれはリハビリの力なのであろうか?
私は思う。
これぞ地域で支えたことの結果。システムがしっかり機能している結果なのではないかと?
我々専門職、支援者が利用者様を支えるにあたり限界を感じることもしばしばある。
しかしご近所ケアシステムはどうだろうか?持ちつ持たれつの精神、お節介精神は、本人の生きがいに直結し、あれよあれよといつのまにか地域に溶け込んでしまう。
Tさんとのリハビリの場面でこんなことがあった。
「○○さんにオカズもらったのよ。お返ししたいから○○店まで歩いていきたいの。付き合ってくれない?」
なんと前向きな歩行練習だろうか。
練習が終わった後も「○○店まで歩けるか不安だったけど、歩けたわね。よかったわ。」
なんて感想も聞かれ、よかったよかったとお互いに満足したのだ。
昨今、このご近所ケアシステムはだんだん衰退してしまっている。
それは時代の流れとして仕方のないことなのかもしれない。しかし仕方ない事として済ましてしまうには、ご近所ケアシステムは勿体無いシステムなのだ。
私が感じるのは、人に興味を持つことがご近所ケアシステムの一歩ではないかと。
あの人大丈夫かな?そう思う気持ちが
「地域の住民一人ひとりまで様々な人たちが力を合わせて対応していこうというシステム」の構築に繋がるのかなーと。
ふと、田舎の祖母を思い出してみた。
過疎化の進む地域で暮らす祖母。地域包括ケアシステムとうたうにも、支える人が少ない。その中でも果敢に生きる祖母。
今でこそ歳を重ね、支えられる側に移っているが、数年前までは近所の年上の方の家に図々しくもお節介焼いていた。
「また火をつけっぱなしだった。私が行かんと火事が起きる!」とプンスコ怒って帰ってきてはまた訪問している記憶が鮮明に残っている。
そして今は支えられる側。誰にどう頼ればいいのか?その為にも相手への興味の熱は冷めない。
最近は生協の荷物を届けてくれるお兄さんの個人情報を聞き出しており「○○に生まれたんと。4月から転勤でここに来たんと。彼女は2年前くらいからいないんと。」と聞き出しては、毎週荷物を届けてくれる時間を楽しみにしている。
人って自分に興味を持たれて嫌な気はしないのであろう。今でもお兄さんと仲良くやっている。
しかし、祖母の情報収集力。
自分らしく生きる為にはそのくらいのバイタリティは必要なのかもしれない。
2023.06.07