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訪問4コマ⑱『幸福度の高い仕事が!?』

 

先日、ネットの記事で『幸福度の高い仕事』が書いてあった。
トップ5の中になんと、理学療法士が2位となっていた。びっくり!私が理学療法士になったころは『理学療法士ってなぁに?』と聞かれることが多く、大学の卒業旅行では、「○○大学 医学療法士様御一行様』と書かれていたことが今でも印象に残っている。

 

他の幸福度の高い職業との共通点として
・他人に対して「気遣い」をするかどうか。
・他人の人生を「守ったり」より良くできるかどうか。
・他人に「影響を与え」人生を変えたり可能性を広げたりするかどうか。

ということがポイントだそう。

自分の仕事を改めて誇りに思うと共に、『そうか、わたしは日々幸福度を味わいながら仕事をしてるんだなー』と感じた。確かに大変な仕事ではあるが、毎日充実感を味わってるのもウソではない。

 

さて、私の戯言を読んでいただいている皆様は今の仕事に就くにあたり何か理由やきっかけはあったのだろうか?

理学療法士や看護師など医療、福祉系の仕事を目指す方は、「祖父がリハビリをしているのを見学して理学療法士さんに憧れました」とか「○○というドラマを見て看護師を目指しました」とかそういう理由を聞く。

私はどうだったかと言うと、超健康優良児であった私は病院への関わりはなく、大学に入るまで「内科」と「外科」の違いも分からない世間知らず。また、幸いなことに祖父母も病気知らずのタフなヤローだったためリハビリという言葉自体も知らなかった。

そんな私も年頃をむかえ、高校でいわゆる進路を決めなければならない時期になった。将来何になりたい!なんて全くわからない。なのに進路を決めろって無理じゃねぇ?と思ってた17の夜。(バイクは盗んだことはない!笑)たまたま理学療法士という仕事を紹介したのが母であり、私が描く将来の条件としてイメージしていた

・体を動かす仕事(じっとしてられない性格のため)
・日々変化のある仕事(飽きやすい性格のため)
・誰かに感謝される仕事(ありがとうの一言でルンルン🎶になる性格のため)

にマッチしたため、理学療法士を目指し今に至る。

 

大学は憧れのキャンパスライフというよりも職業訓練校と言った方が適しているかもしれない。

日々理学療法士になるために勉強や実習を重ね、他の学部の人たちのキャンパスライフを指を咥えいいなーなんて思いもした。今となっては4年間でこの仕事の奥深さを学ぼうなんて、時間が足りないよな。。と思うくらいだ。

国家試験をなんとか突破した私は、病院に就職するやいなや、描いていた理学療法士とは違う自分の実力の無さに情けなくなり嫌になる日々を送った。

ここまでの話だと、「全然、幸福度低くない?」と感じてしまうだろう。確かにその頃の私は仕事に幸福度なんて感じてなかったし、先にあげた「幸福度の高い共通点」は仕事の中で見出してなかった。

 

では、何が変わったのか?どんな経験があったのか?

 

それは多くの患者様、利用者様からの言葉や行動、人生から学んだことが多かった。

・病院を退院して数ヶ月、さらに元気な姿を見せにわざわざやってきてくれた患者様。
・なんとか家に退院するまで辿り着いたのに、たった3日でまた入院となったガン患者様。
・私よりも何歳も年上の大人が、病気を患い葛藤している姿をそばで見た時。
・目標を達成してイキイキした顔した利用者様!
・難病を患い落ちていく自分の身体。リハビリをしながら、静かに涙を流している利用者様の強さや弱さを感じた時。
・「ベストポジションバー」を1本自宅に導入するのに大喧嘩した利用者様との思い出。
・介護する家族の思いに触れた時。などなど。

思い出せば沢山、本当に沢山の経験をした。そう、私自身がこの仕事を通して得たもの、感じたもの、変わったことが本当に多かったのだ。

そして今日もこれからも、きっとまた得ることが多く、私の人生が変わっていくだろう。

改めて思う。幸福度の高い仕事とはと。

私は思う。他人に影響を与えるだけではなく、きっと自分自身も影響を与えられることが私の幸福度なのかなと。

 

 

私は、ある方から
『○○の○○は美味しいから食べてみて。』といわれ食べてみた。

美味しい。

私の人生観は変わった。

たったそんなやりとりを仕事の中であるだけで幸せを感じる私は、かなりの単細胞なのかもしれない。

 

2022.06.15

訪問4コマ⑰『桜の頃』

 

 

このコラムを書いてる頃にはすっかり桜も散ってしまい、葉桜満開といったところであろうか。

今年も何人かのご利用者様を外に連れ出し、桜を鑑賞した。
花のチカラはすごいもので特に『桜』は日本人にとって特別なものなのかもしれない。あんなに外に出ることを嫌がってたご利用者様も『桜見に行きましょう』の一言で重い腰をどっこらしょ!と持ち上げるのだ。

また来年もお世話になることにしよう。

そんな桜効果を目の当たりにすると、そーいやあの時も桜のお陰でいい思い出ができたなぁと思い出すことがある。

 

Bさんのことだ!

Bさんは小脳梗塞を患った。奥様と自宅で生活をしもう数年。お互いに少しずつ歳を重ねて、いわゆる老々介護になっていた。

 

さてさて、皆さんは「小脳」の働きをご存知であろうか?
小脳の働きは簡単に言うと、身体の動きをうまーく調節する役割である。

皆さんはきっと何も苦することなく、目の前のコップに手を伸ばしたり、立ち座りする時に上手くバランスを取ったりできるであろう。
小脳に障害を負うと、コップを持とうとすると手が揺れてしまってうまく持てなかったり、立とうとしても上手く立ち上がれなかったり、立ち上がったあとバランスを崩しそうになったりする。

 

Bさんもそんな小脳のイタズラにて、転倒しないようにと日々気をつけながら生活を送っていた。

そんなBさんのリハビリの目的は外で歩くこと。
近所の公園まで車いすを押して行き、公園内を4点杖を使って一周歩いて、帰りは車椅子に乗って帰る。

上手く上肢の力加減ができないBさんは車いすを押すのにも注意が必要だ。うっかり力を入れすぎて、前輪が持ち上がってしまったら大変だ!ということで、コンクリートブロックを座面に置いてオモリとし、転倒しないように工夫して歩く。そして4点杖でさらに歩き、帰りはそのブロックを膝の上で抱えてもらい、私が後ろから押すというスタイルをとっていた。

多少暑かろうが寒かろうが、雨がザーザー降らない限り歩行練習は欠かさなかった。

Bさんは無口だった。小脳梗塞にて上手くしゃれべれなくなってしまったこともある。リハビリ中も必要なこと以外はしゃべらない。

奥様も、リハビリで今日も無事歩けることに安心を覚え、今日は少し疲れ気味で帰ってきた様子を感じ心配する。ということを繰り返していた。

そんな桜の咲く季節の頃。

なんとなくの会話の中で「最近花見した?」という流れになった。病気を患ってからなかなか花を見に行くことがなかったようで、首をブンブン左右に振っている。

 

「じゃあ今日は桜見に行きましょうか?」

と問いかけると、、

 

「いく!!!!!」

 

と大きな声で返事をしてくれた。

小脳梗塞を患うと声の出し方も上手くいかない。音量を調整することが出来ず急に大声になることがあるのだ。

Bさんも声量調節が上手くできずびっくりするくらい大きな声だったが、その声には行きたい!という気持ちがこもっているのは、こんな私でもよく分かった。

奥様も誘っていざ花見へ。普段はリハビリ中は家で待ってる奥さんも、是非一緒に行きたいと準備をし出かけた。

行った先にはちょうど満開に咲き誇った桜が。

『綺麗』とどもりながらもBさん。

普段は転ばぬようにと足元ばかりに目線がいってるが、今日ばかりはずーっと上をむいて眺めていた!

 

「来てよかったですね」と私。

ブンブン首を上下に振る。

 

「写真撮ろっか!?さぁお母さんも!」

桜をバックに夫婦の写真を撮ることにした。

「はいチーズ!」

カメラを(携帯のカメラ)を向けると、なんとBさんがピースサインでポーズをとっている。

普段見せることのない素振りに私はびっくり。カメラを向けるとピース✌️する人だったなんて。

写真は最高の出来となり、私は印刷して翌週のリハビリの際にプレゼントした。そしてさらに翌週には奥様がしっかり写真盾にいれて飾ってくれていた。

「夫婦で写真を撮るなんて何年ぶりかしら。ねぇパパ!」

奥様はすごく喜んでくれた。旦那様はニコリともしない。既に歩行練習モードになっており歩きに行くぞとばかりに目線を送る。

いつもと変わらないBさんだかとても喜んだ様子はこんな私にもわかる。

桜のお陰で、Bさんの意外な一面と夫婦の思い出を作ることができ、私は大満足と共に桜に感謝!

私が訪問リハビリにどっぷりとはまっている理由の一つに「利用者さんの普段見せない顔に出会えること」がある。何とも言えない嬉しい気持ちになるのだ。
それは私のチカラだけでは無理で桜だったり、家族だったり、お孫さんだったり。

Bさんは今日も歩行練習をする。転倒しないように気をつけながら毎日を送る。

またBさんの違った一面が見られないかと、そばで作戦を練る私。

桜は既に葉桜満開となっていた。

2022.05.05

訪問4コマ⑯『グルメだったこと』

 

最近の出来事だ。

なんでも食べ始めた一歳の息子。シシャモを出すとまぁパクパクと食べてくれた。嬉しくなった母(私)は調子に乗り、ちょっとお得なたくさん入って割安のシシャモを買ってまた食卓に出した。
するとどうだろう。。。

前回と違ってひと口食べると口を横一文字にし、首を横にブンブン振って『NO』をアピール。挙句の果てにシシャモの卵をばら撒きまくる!という、、、
なぜだと思った私はシシャモをひと口食べた。うん、たしかにお得用のシシャモは前回のシシャモと比べて味が劣った。
違いのわかる1歳児、先が思いやられる( ;∀;)

 

 

そんな息子とのやりとりをしながら、ふとAさんのことを思い出した。そう、Aさんも息子と同じグルメだったのだ。

Aさんは入院中に胃ろうを造設し経口摂取をすることは難しいと判断されたが、息子様の想いもありお楽しみ程度に毎日何かしら口から食べている方であった。

病気のため発話少なく、コミュニケーションは頷きにてとっていた。YES・NO質問のクローズコミュニケーションでのやりとり。そして元々、おしゃべり好きな性格ではないようで気が向かないと頷くこともない。

 

そんなAさんのお楽しみの食事は、ほんの少し。ペーストにした果物やおかずを少しずつゆっくりと食べる。

介護する息子様も慣れたもんで、食材によってどんな感じにペーストになるのか、とろみのつき具合など良く研究されていた。

 

そんなある日の出来事。

Aさんはバナナを食べたそうだ。するとどうだろう。ひと口食べると、もういらないと言わんばかりに口を開けてくれなくなったそうだ。
はて、と思った息子様。今日は食欲ないのかな?と思ったと。

そして他の日、桃を食べたそうだ。
すると同じようにひと口食べて、口を開けてくれなくなったと。

 

おかしい。嫌いなのか?

いや違う、前もバナナ、桃しっかり食べてくれた。。。

 

そして研究熱心な息子様はその謎を解き充てたのであった!

バナナは一本150円くらいの高級バナナ、桃は旬の桃は食べたくれたと。フサで売ってる割安のバナナや桃缶の桃は食べてくれなかったことにたどり着いた。

なるほど|ω・)

そりゃお楽しみ程度、毎日少しの量を口から食べることが楽しみ!
美味しいものを食べたいに決まってる!

Aさんの研ぎ澄まされた味覚は瞬時に美味しいもの(高いもの・安いもの笑)を判断していたのだ!

 

QOLならぬ、QOM!

Quality of Meal 食事の質だ!

 

Aさんは身体の自由がきかない分、誰かにやってもらう(介護してもらう)ことで毎日過ごしている。

私たちもリハビリをすることが前提となっているが、そこに本人の意思があること、どんな気持ちでいるかを忘れてはならない。

そしてそんな気持ちを引き出せるよう、アウトプットできるような対応、関係性を作り上げることがとても大事だ。

 

関係性を築き上げるべく、リハビリ中は終始おしゃべりしてしまう私はいつもAさんに一方的に話しかけている。

私『今日は元気?』

Aさん「うん(頷く)」

私『美味しいものたべた?』

Aさん「うん(頷く)」

私『面白いことあった?』

Aさん「うん(頷く)」

私のおしゃべりにうんざりしたのか?Aさんは何にでもうんうんと頷く。

イジワルしてやろうっ!と悪い心が働いた私(´ω`*)

私『高いツボ買う?』

Aさん「NO(首横に振る)」

 

私『げっ、騙されなかった!』

Aさんはニヤッと私を睨む。

まだまだ一枚上手のAさん。

まだまだ修行が足りないのは私の方であった。

 

— 完 —

 

produced by hyoudou

2022.04.04

訪問4コマ⑮「果たしてそれは認知症?」

 

訪問リハビリという仕事をしていると、折に触れて『認知症』の方をお手伝いさせていただく。メディアでも多く取り上げられ、医療、介護の仕事に従事しておらずとも認知症に関しては誰しもが関心があったり、近しい人の介護などの経験から以前よりも身近になっているのではないかな?と思う。

『認知症の人の意思が尊重され、出来る限り住み慣れた地域の良い環境で自分らしく暮らしを続けることが出来る社会を実現する!』という、新オレンジプランにもあるように、認知症への理解や活動は盛んだ。

私自身、日々の仕事やRUN伴などへの参加を通して認知症の方への勉強や理解を積み重ねてきた。

 

 

しかし、Fさんご夫婦のリハビリやお手伝いを通して私は認知症に対して新たな視点を得ることになったのだ。

私がお手伝いをしていたFさんご夫婦は二人暮らし。娘様方も遠方在住のため交代でお手伝いにきてくれるが、基本お二人で生活をしているとても仲睦まじいご夫婦であった。

出会った当初、旦那様は90代。奥様も80代後半。いわゆる老老介護の状態であった。

お手伝いをさせてもらった旦那様は、外に出るのが億劫でありディサービスなどの通所系サービスを拒否されていたため、訪問リハビリを紹介され、お手伝いすることとなった。

出会った当初より旦那様は認知症の兆候が色濃くでていた。

リハビリ中の会話も、壊れたラジカセのように何度もリピート。同じ話を繰り返す。何度も何度も。
もちろん私の名前を覚えることもなく(きっと私が何者であるかもわかってないだろう)日付や昨日の出来事も覚えていない。

お風呂も拒否し何週間も入らないこともある。『今日はお風呂入ろうね~』と奥様がお風呂の準備をしても、急に心変わりし入らない!と拒否することも少なくない。

奥様の姿が見えないと不安になり『おーーぃおーーぃ。』と呼ぶこともおおく、洗濯物を干しに行く、ゴミを捨てにいくという時も『今から○○しに行きますからね!』と伝えるがすぐ忘れて『おーーぃおーーぃ。』が始まるのだ。
毎朝飲む薬もなかなか飲まず『これは毒なのか!?』『毒じゃありませんよ。薬なので飲んでくださいね。』
というやりとりは毎日のお決まり。

判断力も低下しており、リハビリの計画書のサインをもらうにしても『ここに名前かいていいの?』から始まり『これ書いたら何から悪いことに使うの?』など名前をいただくにも一悶着、二悶着ある。

ご飯もなかなか食べないため、奥様も『作りがいがないのよぉ。』とこぼしておられる。

暴れたり、暴力をふるったりという攻撃性はなかったものの、客観的に大変だなぁ。と感じていた。

 

 

さて認知症と聞いて皆さんはどんなイメージを抱くだろうか?ポジティブなイメージよりも、きっとネガティブなイメージが先行するのではないだろうか?
・大変だなぁ。
・家族に迷惑かける。
・私は認知症になりたくないな。

私が訪問リハビリの仕事を行ってても、お手伝いするご高齢者様から『自分のことが自分でできなくなったら生きている意味がない。』という言葉が良く聞かれる。言い換えれば『認知症になったらおしまい』ということであろうか?

 

さてさて、Fさん夫婦の話に戻ろう。Fさんはそんな認知症の兆候がありながらも、とても穏やかで楽しい方だった。そして、私が大変だなぁと思う反面、奥様の素振りからは大変さは感じられなかった。
長年連れ添った夫婦だからこそなせる空気なのか?昭和を生き抜いた夫婦だから絆が強いのか?なんて思っていたりした。

そんなFさんとの付き合いは、なんと4年あまり。そして最期までお手伝いさせてもらった。

落ち着いた頃、奥様と旦那様のことについて話した。奥様からは意外な言葉が聞かれた。

『パパはなかなか大変だったけど、認知症じゃなかったからね。』

んん!?

私が抱いていた旦那様像と奥様が思っていた旦那様。

奥様は旦那様の事を、認知症とは思ってなかったのだ。

 

認知症に対する勉強や理解を積み重ねたことでうっかり忘れていたことがあった。
そう、一人一人には生活があり人生があることを。

ついつい勉強に走ると症状ばかりに目が向き、最善の対応を模索する。

私は奥様の一言で、新オレンジプランにも掲げてある、『認知症の人やその家族の視点の重視』ということを改めて考えるきっかけとなった。支援者が大変だなと客観的に感じ評価したとしても、支える家族が困ってなければそれは問題点ではないのかもしれない。逆を言えば、我々支援者が「まだまだ大丈夫」と評価しようとも本人や家族が困っていたら、それはしっかりと向き合うべき課題である。そう思えるには、人生という長い時間が影響するし、日々の生活が左右するだろう。

 

我々は専門職としての責任がある。
しかし、専門職だからこそ見逃してしまう事、忘れてしまう事がある。

ある日遠方からお手伝いに娘様がきていた。Fさんと奥様は毎度のお約束、お薬は毒なのか?のやりとりをやっている。

そばで見ていた娘様はおもむろに奥様に
『たまには本当に毒いれてみたら?』

とサラッとおっしゃっていた。

爆笑。。。

これこそが『住み慣れた良い環境で自分らしく暮らしを続ける』ポイントなのかもしれないな。

— 完 —

 

produced by hyoudou

2022.03.07

マザース通信 2月号 Vol.45

2022.2.7発行

[コンテンツ]

✓ 健康雑学クイズ

✓ 連載第14話!訪問あるある4コマ漫画

✓ Rehastagram (リハスタグラム)

✓ 2022.2月  空き枠情報


 

 

※PT・OT経験者:積極採用中!詳しくはこちらまで!

2022.02.07

訪問4コマ⑭「名探偵になるべく、、、」

 

訪問リハビリにてお手伝いする利用者様は大半がご高齢の方になるが、中には小児、お子さまのお手伝いをすることもある。

私は子供のリハビリを担当したことがほとんどないが、唯一担当したS君は私に色々な気づきをくれたひとりだ。

S君を担当したのは訪問リハビリを始めてすぐ。前任者から引き継いだ形で担当することとなった。

当時の私はまだまだリハビリの世界を理解するには経験が浅く、また人としても経験の足りない理学療法士。そしてがむしゃらに仕事をしてた一年目の頃と比べると、今自分がやってることが何なんだろうなーと、ちょうど壁にぶつかっていた頃だった。

S君は難しい病気を患っていた。

5歳の頃から急に歩けなくなり「おかしいな、おかしいな」と当時ご両親は病院を駆け回ったらしい。
そして難病と分かった。
どんな気持ちだっただろう。

私がリハビリとして担当した時、S君は高校を卒業するくらいの年齢であった。寝たきりで意思疎通はできない。食事は胃ろうからとり、唾液で誤嚥しないようにと、唾液が肺に落ちて行かないように手術もしていた。

『寝たっきりの人のリハビリって何するの?』

医療・介護業界と全く無縁のところで働いてる友人から何気なくきた質問だ。

これが、正直な世間の認識なんだろなと思った。

動かない、動かさないことへの弊害がどんな形で現れるか。私は大学で、そして勤めていた病院でそれなりに勉強し経験を積んできた。
が、ただそれだけだった。
それ以上に関しては気が付かなかったし、気に留めることがなかった。

S君のお母さんはとっても明るい人だった。
韓国俳優にどハマりして、熱く素晴らしさを語ってくれるそんなお茶目なところもありながら、母としての強さや覚悟もしっかり持ち合わせたお母さんだった。

S君のリハビリの目的、目標は全身状態の観察と、関節拘縮予防。自身で動かせない身体の関節一つ一つをゆっくり優しく動かし、拘縮しないようにすること。

毎回1時間ゆっくりと取り組む。

S君はご家族の献身的な介護もあり状態が安定していたため、毎回のリハビリに特段変化がなかった。毎回同じことの繰り返し。それはとてもいいことなのであるか、当時の私は物足りなさも感じていたのが本音である。

ある日の夏のこと。

リハビリをしていたら一匹の『蚊』に気がついた私。

『お母さん、今蚊がいましたね。どこか行っちゃいました!』

何気ない会話のつもりだった。

ところがどうだろう。
私が思っている以上に蚊に対して敵意を剥き出し、なんとしてでも仕留めようと探し回るお母さん。

『S君が刺されちゃっても自分で掻くことができないし、痒いって言えないら、、、。』

あっ、そうか。。。

そこまで気が回らなかった自分を強く、強く恥じた。

そこからというと、私はリハビリをしながらお母さんのS君へのケアや接し方をじぃぃぃーーーっと観察するようになった。

声の掛け方やオムツ交換の手捌、部屋の環境に対してどう気を配っているかや我々に対して質問してくる内容など、あらゆるところが気になった。

今まで、病院勤務していた時も寝たきりの方のリハビリは行ってきたが、こんなに一つ一つの表情に気を止めただろうか?

こんなに頻繁に声かけをしただろうか。

そもそも返事のない会話に、なにをどう声かけて良いかもわからなかった私。

『こなす』リハビリを行なってきた私。

だから、壁にぶち当たっていた私。。。

 

 

それからというものの、特に在宅という環境においては、私はそう!どこかの名探偵のように、いや、埃ひとつに目を光らせる小姑のように観察するようになった。

そして、舞台の上で話を続ける落語家さんのようにリハビリ中も話しかけた。

いつもは合わない目線があったときに、伝わったんだなーと感じ、なんか嫌な顔した時は、私の話はつまらなかったのかと、笑いのセンスを磨こうと心に誓った。

物足りないという感情は、、、忘れていた。

今日もお母さんは元気いっぱいにS君のケアをしていた。

それは今日みたいに冬の寒い日のこと。

S君の部屋に入ったらモクモクと加湿器がたかれている。うっすら向こうが見えないくらいに(笑)

『乾燥は気管切開してるS君には大敵だから!』

、、、たしかに。。。

モクモクと加湿器が炊かれる部屋で、加湿器の煙に若干私はむせこみながら、今日もS君とのリハビリを楽しむ。

S君がいつも穏やかなのはお母さんのおかげだな。

私はまだ名探偵にはなってはいない。まだまだ修行が必要だ。

 

 

おぃ!名探偵よ。
正月の怠惰な生活でついた、お腹周りの浮き輪には気がついているか、、、

私はまだまだ修行が必要だ。、、、

 

 

— 完 —

 

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2022.02.07

訪問4コマ⑬「ザクリ、ザクリ、グサリ、、、」

 

ここ最近、急に寒くなったなぁと感じる。
こんな季節が舞い込むと、私は決まってKさんを思い出す。

自転車を漕いでいると手がキンキンに冷たくなる。手の寒さを感じると私は決まってKさんの声が聞こえて来る。

吐く息がだんだん白くなって見えてくる。
白くなる息をぼーっと眺めるとKさんにたどり着く。

Kさんはなかなかの問題児、いや既に80歳近かったから『児』ではないな。問題オバちゃまと愛情を持って呼ぶこととしよう。

問題オバちゃまは、よく転んでいた。外で転んだり家の中で転んだりと。その度にリハビリを前向きに取り組み、その都度復活して、またちょっと調子に乗ってスッテンコロリンする方だった。

Kさんは少し、いやだいぶ耳が遠かった。耳元で大きな声で話してもなかなか通じず、大事なことは筆談を用いながら会話をしていた。
補聴器をつけても聞き取れず、むしろピーピーとなって煩わしいとつけず、よく無くしていた。その度に家族に怒られていた。

耳が聞こえずらいというのはすごく不便であろう。

Kさんはもともとの趣味である詩を詠むことに熱心に取り組んでいた。スムーズな会話は出来ないけど、だからこそ感性が研ぎ澄まされ、想いを言葉にし、我々に伝えてくれた。

そんなKさんとのリハビリは外を歩くこと。春は桜を見ながら、真夏の暑い日は汗をタラタラ流しながら、秋は寂しさを少し感じ、冬は寒い寒いと文句を言いながら外を歩いていた。

 

そんなある日の寒い寒い日のこと。外を歩いていたら、なんと霜柱が立っていた。
ここ最近霜柱なんて見ることのない私。ちょっと興奮。Kさんも一緒に嬉しくなり果敢に霜柱に向かっていった!

『ザクリっ』

軽快な音とともに霜柱が潰れる。私はこのサクサクとした感触がなんともたまらない。
ついつい童心に帰った私。

『Kさんも踏んでみましょーよー』

Kさんも嬉しそうに霜柱に挑む。

しかしKさんは体重が軽いせいもあってか、踏む力が弱いこともあってか、『ザクリ』と霜柱を潰すことができなかった。

 

私はKさんを慰めるべく、Kさんに届くような大きな声で
『Kさんの体重軽いから、なかなか霜柱つぶせないね』とゆっくり伝えた。

 

Kさんには私の声が伝わったのであろう。
おもむろに私の太ももを触りながら、そしてどこまでも響く大きな声で

 

『あんたの太ももなら大丈夫だわ!』

 

童心に帰っていた私は、一気に現実に戻される。。。。

またもう一度霜柱を踏む私。
ザクリ、、、いやグサリ。

霜柱の音よりも、Kさんの的確な表現は私の心にグサリと刺さった。

 

 

そんな表現豊かで自由であるがままのKさんは私に一つ歌を送ってくれた。

 

リハビリに

三度重なる

縁の糸

桜咲く日の

間近ならむに

 

年を重ねて、怪我をしたり、出来ないことが増えてきたり、もう嫌になる。ってことも多いだろう。しかしKさんのようにひとつひとつ現状を受け入れ、ひとつひとつを前向きに捉えて、できることを取り組む姿。

簡単なようでなかなかできないことだ。

私は寒くなると思い出す。
そうだ、そろそろダイエットしなきゃなぁと。

私は息が白くなるとハッとする。
前向きな取り組もうと。

私は霜柱をみて突き刺さる。
現実の音が、、、

 

ザクリ、、、グサリ、、、

 

— 完 —

produced by hyoudou

2021.12.29

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