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訪問4コマ漫画㉟「あっという間に時はながれる。。。」

あれまぁ。
2023年もカレンダーがあと1枚になってしまった。
日本人のサガであろうか。12月と聞くだけでなんとなく気忙しくなってしまうのは。

この時期、利用者様方とのコミュニケーションで出てくるのはほぼ同じフレーズ。

『一年あっという間ねぇ。』

ほんとに、あっという間に過ぎ去ってしまった。

担当している利用者様の中には、

去年よりもできることが増えた。生活が変わった。

という方もいるだろう。中には

去年よりも外を歩けなくなった。誰かに手伝ってもらうことが増えた。

という方もいる。

そして、なーーんにも変わらない。なんて方もいるのではなかろうか。

在宅においてリハビリは週に1回、または週に2回ほどご自宅にお邪魔させてもらう。

何事もなければ
いつものように、リハビリプログラムを行なって、
いつものようにお話しして、1回の訪問が終わる。

そう「いつものように」は一見、利用者様の生活、身体機能が安定しており、いい事のように見えてしまうが、裏を返せばいつものようにに慣れてしまうと、ちょっとした変化や兆候に気が付かなくなるという恐ろしさもあるのである。

皆さんは、某テレビドラマ『家政夫のミ○ゾ○』をご存知だろうか?

スーパー家政夫のミ○ゾ○さんは洞察力・観察力が鋭く、派遣先の様子を見て、その家の問題を炙り出すのが得意。そして依頼者からの信頼を得るのが早く「痛み入ります。」が口癖だ。

私は訪問リハビリにおいて目指す姿に、ふとミ○ゾ○さんを描く時がある。笑

確かに、適切なリハビリプログラム、治療を提供し身体機能、生活動作を改善したり、安定させることはスーパー家政婦ならぬ、スーパーリハビリとして大事なことだ。

しかし私は、それだけでは利用者様の変化に気がつけないのではないかと思うのだ。

スーパーリハビリに必要な能力として

①五感を働かせて生活の変化を感じ、鋭い洞察力、観察力にて身体機能の変化を炙り出す。

部屋の匂いはどうか?お薬の管理は?などから始まり、いつも変えていた掛け軸がずっと同じままだ。とか、花が前ほど飾ってないだとか。一見、身体機能、生活には関係なさそうに見えて実は何かの兆候である場合があったり、リハビリを提供する上で本人の動機づけになるエピソードだったりする。

そして

②本人から話してもらえるような信頼関係を作り。
訪問してない時間に何か変わったことがなかったかとか、本心だとかを話してもらえる関係性を作る。

人間、失敗エピソードや恥ずかしいエピソードは隠したがるものである。
しかしそれが身体機能の変化の兆候であったり、早めに手を打っていれば解決できた問題だったかもしれない。
また、不満や愚痴を話してくれる関係作り。
「なにかやってもらう」という立場にいると、ついつい遠慮がちになってしまう高齢者。そのため本心ではなくてもつい首を縦に振ってしまったり、理解が追いつかず周りのスピードに巻き込まれて、本心を伝えられず、、、蓋を開ければ本意ではない結果になっている事も沢山ある。そうなるとやる気が出なかったり、何のために、、、という気持ちが生まれるのも仕方ないことではなかろうか?

上記2点の能力。
まさにミ○ゾ○さんがもっている能力ではなかろうか。

在宅現場は本当に忙しい。

そして記録や書類業務などやる事が多くついつい「いつものように」をこなしてしまっている時がある。

カレンダーも残り一枚のこの時期。

私は利用者様とゆっくりこの一年を振り返る時間を大事にしている。
私がミ○ゾ○さんのごとく気がついた事や感じた事も共有しながら、利用者様本人にも気づいてもらったり考えてもらうようにしている。
そして来年はどんな年にしたいか。を一緒に考える。

さて私のことを振り返れば、このマザース通信4コマ漫画。数えること30話を超えた。毎回の絵のクオリティは、、、(;_;)

それでも「楽しみにしてます。」のお声をいただくとやる気が出るわけで。

『痛み入ります。』

来年も頑張ります!

2023.12.27

訪問4コマ漫画㉞「屋外歩行練習には目的を!」

秋になった。いや、やーーっと秋になったといえよう。

金木犀の香りを感じ、空の青さを見る余裕も出るこの頃。訪問業務を生業としてる者としては1番最高の季節ではなかろうか?

えっ?春もいいって?
私は花粉症なので、春の訪問はある意味地獄なのです。

さて、リハビリを提供する私としては、この季節は利用者様たちを外に連れ出すのにうってつけの季節。

「暑くて〜。」「寒くて〜。」という利用者様のイヤヨ!!イヤヨ!!発言も通用しない季節だからだ!

あんなに上手い理由をつけて外に出ることを拒んでいた方も、ついつい外に出たくなる季節なのだ。

さて、屋外歩行推しの私だが、

「そんなに屋外歩行練習は効果があるのか?」

と思う方もいるだろう。

屋外歩行練習の効果はきっと科学的にも証明されてるとは思うが、私は以下3つに重点を置いている。

①運動能力、バランス機能への効果
②認知面への効果
③精神賦活、生活への刺激効果

である。

①は説明しなくとも想像つくであろう。家の中と違って外に出るということは、靴を履き替えたり、段差を昇降したり、対向車に気を遣ったりと多くの機能が必要となるのだ!

②は外に出ることで季節を感じたり、目から入る刺激がいつもとちがっていたり、すれ違う人と挨拶を交わしてみたり、とある研究でも屋外歩行練習が認知面の効果があったと示されている。

③に関しては、私が1番屋外歩行練習に期待することで、
外に行くとなれば、着替えるであろう、鏡を見るであろう。気持ちもスッキリするかもしれない。張り合いのない毎日に何か刺激ができると感じる。

とまぁ、あげればキリがないのだが、そー簡単に屋外歩行練習を実施できるかというと、そうでもない。

そこに目的があるか、否かは屋外歩行練習が成功するか否かの重大ポイントなのだ。

Aさんも言わずと知れた、外に行くのがイヤヨイヤヨタイプの方。歩行能力は見守りレベルのため、外を歩くこと自体は問題ないのだ。

しかし高齢者特有だろうか、何事にも対しても後ろ向きの、もーダメよタイプ。

家族としては歩けなくなるから、とAさんへ外歩きを促すもそこは負けてないAさんは「もうお迎えが来るから」と家族の提案は拒否なのだ。
実際は医師からむこう10年は大丈夫だとお墨付きにもかかわらず。

そんなAさんには屋外歩行練習を実施するにあたり、目的ならぬ役割を与えることを重視している。やや恩着せがましいかもしれないが、これが意外と効果テキメン!

・この手紙ポストに入れてきて。
だとか。
・○○取ってきて。
だとか。

特に用事がないときは、
「一緒に○○見に行こうとよぉ〜」
と甘え口調でお誘いしてみることも。

確かに本人自ら外に出る目的を見出せる方がいい。買い物に行くだとか、次は○○まで歩くだとか。しかし、自分のために動くというのは意外とスイッチが入らないもので、誰かのためにとなると、ポチッとスイッチが入るのだ。

今日もいい天気。屋外歩行練習にはうってつけだ。
Aさんは今日もイヤヨイヤヨの口調だ。

さて今日はどーやって外歩き誘おうか?

「金木犀の香りいい感じだから、行ってみない??」

「あたし、金木犀の香り嫌いだから、トイレの香りみたいで嫌なの」

地雷を踏んだ。

Aさんをデート(屋外歩行練習)に誘うための口説き方という独自のマニュアルに「金木犀は禁」と付け加えたい。。。

2023.11.09

イベント参加報告~RUN伴+なかの2023~

2023.10.18

訪問4コマ漫画㉝「リハビリは恋の駆け引きと似てる???」

恋の駆け引き、、、久しく、久しくしてない。。笑
最近はSNSの普及もあり、LIN○の駆け引きテクニックなど手法も沢山あるようだ。

「駆け引き」は辞書的な意味だと「相手の出方や状況に応じて、自分に有利になるように処置すること」と書いてある。
恋愛においては「気になる相手を振り向かせるためのテクニック」とな。。。

しかしこのテクニック、リハビリの場面でもよく直面する。。。ような気がするのである。

介護・医療保険におけるサービスの導入に関して、すんなり導入できる方ばかりではないのはケアマネジャーの方々であれば重々承知、いや何度も経験し頭を悩ませている要因の一つであろうと思う。

リハビリに関しても同じで、いざサービス導入になった!めでたしめでたしの方ばかりではない。サービス開始になったものの頑なに「NO!リハビリ!」と拒否される方も多い。または「続かない」という方もいるのだ。

私が訪問を始めて間もない頃、「膝が痛くて歩けないためリハビリを!」という依頼があった。

初回介入時、私は正しいことをした。
膝のために、痛みを取るための歩けるようになるリハをした。

しかし、初回介入後、ケアマネさんより連絡が来て「○○さん、リハは自分に合わないから、、、なので今回は、、、」というお断りの連絡だった。

当時の私は、なんで?という疑問しか残らず、自分が何か気に触る事したか?痛みを増加させたか?とそればかり考えた。

今振り返ると、当時足りなかったかモノは「続けてもらう」という意識だ。

「リハビリをやってもらう」ことを当たり前と思っていた当時(病院勤めの感覚が抜けなかったのだろう)、断られるなんで思いもしなかったのだ。

リハビリとしての正しいことと、利用者さんが続けたい!と思うことはイコールではないのだ。

私がリハビリの駆け引きテクニックとして意識しているのは、、、

・命に関わらなければ、必要以上に相手をコントロールしないこと。

・明日が(次が)楽しくなる、楽しみになるような関わりを常に心がけること。

 

つまりどういう事かというと、利用者さんによっては「腰に負担かかること毎日やってるなー」とか、「その動作危ないよなー」とか思う事はある。

しかし、あれはダメ、これはダメ、こーしなさい、あーしなさい。と指導してばかりだとどうだろう。いくら人生経験が長く懐も深くなった高齢者の方々といえど、窮屈になるのではなかろうか?

そして、また来てほしい!そう感じてもらう関わりが大事だ!

もちろん身体的に楽になったとか、痛みが取れたという変化にて次を楽しみにしてもらうのは嬉しいことだが、そればかりではない。

1週間のうち我々が関われるのはほんの僅かな時間だ。その僅かな時間がいかに楽しい時間であったかと思ってもらうのが、続けてもらうために大事だと思うのだ。

 

 

とある大学では、恋愛学などの授業もあるそうで人気だそうだ!
ぜひ、全国のリハビリ養成校においても、骨や筋肉の授業ばかりでなく恋愛学とリハビリとでも名付けようか?そんな授業かあってもいいのではないだろうか笑。

さて最後Kさんを紹介しよう。こちら絶賛駆け引き、失敗中の方である。少し認知症もあり何事にも嫌だ!が先行してしまう。

様々なサービス導入を提案したがなかなか受け入れなく、やっとのことリハが介入できるようになった方だ。
Kさん、リハビリは続いているものの、運動は断固拒否のタイプの方。ちょっと運動すると「あーーもー苦しい。もーダメ」と言って積極的なリハ介入ができてないのだ。

毎回、「外行きましょ」とお誘いするも、連敗中。振られてばかりだ( ;∀;)

困ったなーと思い、精神科の病院で働くOTさんに相談したら、「押してダメなら引いてみろ」とまさに恋愛テクニックを伝授されたのだ。

ある日、、、
「Kさん、運動あまり好きじゃないでしょ。今日のリハはやめよっか?」と提案。Kさんやったーとばかりに、何をすることも無く、1時間やり過ごした。
そして翌週も同じ声掛けをすると、どうだろう。。「今日は外歩こうか?」と自ら言い出したのだ!短い時間であったが、念願の外歩きを取り組む事ができたのだ。

調子に乗った私は、次回もそのテクニックを使おうと試みた。が、しかしだ、、、Kさんはそれ以降、テクニックに乗ることなく今に至る。。。

 

今日もまた私は振られるであろう。
もはや、そのやりとりさえもルーティンになってる笑

誰か、あっ!そこの恋愛マスター!!
いいテクニック教えてください!
待ってます<(_ _)>

2023.08.30

訪問4コマ漫画㉜「リハビリプレッシャー」

 

先日、とある利用者さんよりこんなことを言われた。
『先生、暑い中来てもらって悪いわね。先生こんなに一生懸命やってくれるのにちっとも進歩しなくて、、、ごめんなさい。』

何気ないやり取りであったが、なんかグサっと刺さった。

皆さんはリハビリという言葉にどんなイメージを持っているだろう。

キツイ?痛い?大変?

どことなく体育会系のイメージが先行して、私はリハビリなんてできないわよ〜。と尻込みする方もいる一方

よくなる!元に戻る!など機能回復をイメージしている方も多くいる。

果たしてそのイメージは合っているのであろうか?

そもそも、リハビリテーションとは
英語で表記すると『Rehabilitation』となり、その語源はラテン語の「再び」を意味するReと「適する」を意味するHabilisが組み合わさったものである。

つまり、直訳すると「(人が)再び適する状態になる」ことを示すわけで、治るという意味とはちょっと違う。

病院勤め時代は、骨折や脳血管疾患にて入院してくる方のリハビリを担当する機会が多くあった。
その際、患者様やそのご家族からよく聞かれたのは
『もとの生活に戻れますか?』とか『前のように歩けますか?』といった声が多かった。もちろん、いきなり病気や怪我にてできなくなったことを目の当たりにし、不安いっぱいの中、先のイメージができない。その中でリハビリで自分はどうなるんだ?と言う思いから出る質問であることは十分理解している。

その心の葛藤を『障害受容』といい、①ショック期→②否認期(期待期)→③混乱期→④適応への努力期→⑤適応期という過程を辿るとされている。

リハビリでは、関わる中でその心の葛藤に寄り添いながらリハビリを進めていく。もちろんその受容過程は人それぞれであり、退院する時まで受容できてない方もいれば、早々に気持ちを切り替えている方もいる。

さて、話は戻るが冒頭の利用者様から投げかけられた発言。

これをどう捉えるか?

おそらく、家族などから「お母さん、リハビリして歩けるようにならないとね」と言われたのかもしれない。

または、周りにリハビリを受けて良くなってる方と自身を比べてしまってるのかもしれない。

いずれにしても、リハビリ=良くなる。というイメージが先行したために出た発言であることは間違いなかろう。

繰り返しになるが、リハビリは『適した状態になること』を目指している。

では適した状態とは?
それは身体の回復によって適した状態になることもあるであろう。

しかし、年を重ねた高齢者。
当たり前であるがリハビリをすれば機能回復ができる方ばかりではないし、頑張ったものが必ずしも目に見える結果として返ってこないのも高齢者である。

私は在宅生活における適応するとは、『身体的適応』『精神的適応』『環境的適応』と分けて捉えている。そして改善することで適応を目指すばかりではなく、衰えることに対しても適応していく事を考えることこそ、在宅リハの醍醐味ではなかろうか?

冒頭の利用者さんはきっと良くなることを目指すがあまり、リハビリが義務となりプレッシャーとなってしまったのではなかろうか?

そして私も、『先生のおかげで◯◯できるようになったわ』なんて言われると嬉しいがあまり、利用者さんにもそんな態度をとっていたのではなかろうか?と反省する。

介護保険におけるサービスの主体は本人、利用者様であることはもちろんのこと、リハビリにおける主役も利用者様。
私のためのリハビリではないのだ。

衰えていくであろう身体や生活の変化にも寄り添い、いかに適応していくかを考え、そして楽しみや希望を描ける様なリハを提供したいと思うのである。

さて、私は冒頭のやりとりに対してどう返したかと言うと

『いや〜この暑さで私、リハビリ腕が落ちてるんですよ。笑○○さんはいつも一生懸命ありがとうございます!』

果たしてこの返答は正解なのだろうか?
笑点だったら、『山田くん!一枚持っていってー』となるだろう。だれか正解を教えて欲しい。

2023.08.07

訪問4コマ漫画㉛「ニーズについて考えてみた」

先日、テレビを見ていると『認知症基本法』が参議院本会議で全会一致で可決・成立した。
医療、介護従事者にとっては、おおっ!と耳を傾けるニュースであった事は間違いない。

法案の中での基本理念として
・常に認知症の人の立場に立ち、認知症の人及びその家族の意向の尊重に配慮して行われること。

と明記してあるが、果たしてそれは現場でしっかり実践できているのかな?と我が身を振り返りながら感じたのだ。

サービスを提供するにあたり、本人、家族の主訴、いわゆるニーズを確認する必要がある。

先日とある研修会に参加した際にニーズの捉え方に関しての講義があった。

我々福祉、医療職はサービスを展開していくにあたり、本人、家族の「ニーズ」を大切にする。いわゆる本人・家族が何を求めているか、どんな主訴を持っているか。ということ。

しかし今回の研修ではニーズを整理することの大切さを身に染みて感じたのだ。

ニーズには
①フェルトニーズ(主訴):本人・家族が感じるニーズ

②ノーマティブニーズ(規範的ニーズ):支援者が必要だと考えるニーズ・支援者の憶測

③リアルニーズ(了解されたニーズ):本人との確認によって整理されたニーズ

以上3つあることを学んだ。

なるほど!

私はこの研修を通して、ずっとモヤモヤしていたものが少し晴れた気がするのだ。

昔むかーしのことだが、まだ理学療法士になって数年。病院内勤務から初めて訪問業務についてしばらくした時のことだ。

訪問業務においてもリハビリ計画書を作成する。その中では本人家族の希望を記載する項目がある。

各利用者様にこれからの生活をどうしたいか聞いた際に、言葉詰まらせる場面が幾度もあったのだ。
どんな生活が待ってるのか、どんな生活ができるのか皆目検討がつかない。と言ったところであろうか。

それは特に、骨折や脳梗塞などにより入院を経て、在宅復帰した利用者様、つまりは退院してからもすぐに訪問リハビリ導入となった方に多く見られる傾向だなと当時は感じた。

偉そうな言い方になるが、つまりは入院生活の中でいかに在宅生活をイメージさせ、またその先も描けるような退院時支援ができてないからかな?なんて思ったりも当時はしたものだ。

そのような状態でスタートするリハなので、なんとなく雲を掴むような場面も幾度もあり、『歩行器を使って歩けるようになる』というような目標をかかげるが、それはただリハビリのための目標であり、生活、大きく言えばその方の人生の目標にはなってないな。と思うことが多かった。

モヤモヤは募るばかりであった。

ふと、先程話したニーズを振り返ってみよう。

『歩行器で歩けるようになる』

一見、本人、家族が望むことのように見えるが、果たしてそうであろうか?

私はこの目標にもう一言付け加えたい。

『歩行器を使って家族と箱根旅行に行きたい。』

だとか、

『近所のスーパーまで歩いて行き買い物をしたい。』

などなど。

つまりは、なぜいま歩行練習をしているのか、その目標は?と突き詰めたいのだ。

具体的に旅行などの項目が上がらなくとも、

『90歳を迎えるまでは1人で歩いてトイレに行きたい。』

などそんな目標だと、なんだかリアルである。

専門家からしてみれば歩行練習をすることの意味を挙げれば沢山ある。体力を落とさないとか、活動量を維持するだとか。ただそれはノーマティブニーズであり、利用様からしてみれば、言われなくても分かってるよ。と突っ込みたくなるであろう。

だからこそニーズの整理が必要なのだ。

時として、特に認知症の本人、または家族からは主訴がなかなか出てこないこともあるだろう。
それはそれで間違いではなく、いまは分からない、それが正解なのだ。つまりは、主訴に気付ける、または引き出せるような関わり方をしていくことが大事で、我々は常に柔軟に対応していかなければならないのである。

特に価値観が多様化している昨今、生き方・死に方にも様々な意見が飛び交うであろう。

それに対応するべく、そしてだからこそニーズの整理が必要なのだ。

とある利用者から
『○月にひ孫が生まれるの。それまでは生きたい。』

と話があった。

なんて素敵な主訴であろうか。
そして専門家の私はこう返したのである

『物心つくまで生きてないと、忘れられますよ。なのであと2年くらいは生きましょう。』

『無理よ〜。』

リアルニーズの整理には失敗したが笑。とても心温まるやりとりができたことに、やはり在宅支援の楽しさをまた感じることができたのであった。

2023.07.12

訪問4コマ漫画㉚「地域で生きる、支える!」

先日、こんな話を耳にした。
とある高齢女性。近所に買い物に行くにあたりスーパーなどなく、自宅から坂を登った場所にあるコンビニに1人で買い物に行ってるそうだ。
すると、コンビニで買い物したあと、店の定員さんが「おばぁさん、危ないだろう」と、毎回坂の下まで荷物を持って運んでくれていると。

なんとほっこりするエピソードであろうか?

何気ないエピソードであるが私はそこから地域で生きる、地域で支えるとは?何だろう?と考えてしまう。

住み慣れた地域にいつまでも暮らすために地域包括ケアシステムというものがある。

「人口減少社会における介護需要の急増という困難な課題に対して、医療・介護などの専門職から地域の住民一人ひとりまで様々な人たちが力を合わせて対応していこうというシステム」のことだ。

Tさんもこの地域包括ケアシステムに加えて、ご近所ケアシステムによって立派に日々生活を送ってる方の1人だ。

Tさんは大腿骨を骨折してしまい入院。リハビリを経てなんとか屋内の移動を1人で行うことができるくらいまで回復し退院となった90代の女性である。

90代となれば友人もひとり、またひとりと旅立ち社会的な交流も少なくなる。そのため引きこもりがちとなり、活動量も少なくなりだんだん身体機能が低下していく。
自分らしく生きると言う点においても、日々楽しみ、張り合いがなく、生きているよりも、ただ生かされているという感想を聞く事も少なくない。

しかしTさんは、退院したその日から近所の誰かが噂を聞きつけて来訪し、
「あなた、大丈夫?よかったわね、帰ってこれて。」
「いやぁねぇ、やっとよー。もう私もだめよー。あははは〜。」
なんてやりとりを一通りしていた。

それからと言うものの、リハビリで訪問したら必ず誰かお客さんがきている。

社会参加を促すためにもディサービスに通うことも案にあがったが、本人が前向きになれず利用することはなかった。しかしディサービスと同等の社会参加は我が自宅で行われていたのであった。

Tさんは退院後も身体機能の改善を見せ、見守りにて近所を歩くことができるようになる。そしてヘルパーさんの手も借りながらスーパーまで買い物も実行することができた方だ。

さすがリハビリの力だね!なんて思うかもしれないが、果たしてこれはリハビリの力なのであろうか?

私は思う。
これぞ地域で支えたことの結果。システムがしっかり機能している結果なのではないかと?

我々専門職、支援者が利用者様を支えるにあたり限界を感じることもしばしばある。

しかしご近所ケアシステムはどうだろうか?持ちつ持たれつの精神、お節介精神は、本人の生きがいに直結し、あれよあれよといつのまにか地域に溶け込んでしまう。

Tさんとのリハビリの場面でこんなことがあった。
「○○さんにオカズもらったのよ。お返ししたいから○○店まで歩いていきたいの。付き合ってくれない?」

なんと前向きな歩行練習だろうか。

練習が終わった後も「○○店まで歩けるか不安だったけど、歩けたわね。よかったわ。」

なんて感想も聞かれ、よかったよかったとお互いに満足したのだ。

昨今、このご近所ケアシステムはだんだん衰退してしまっている。

それは時代の流れとして仕方のないことなのかもしれない。しかし仕方ない事として済ましてしまうには、ご近所ケアシステムは勿体無いシステムなのだ。

私が感じるのは、人に興味を持つことがご近所ケアシステムの一歩ではないかと。

あの人大丈夫かな?そう思う気持ちが
「地域の住民一人ひとりまで様々な人たちが力を合わせて対応していこうというシステム」の構築に繋がるのかなーと。

ふと、田舎の祖母を思い出してみた。
過疎化の進む地域で暮らす祖母。地域包括ケアシステムとうたうにも、支える人が少ない。その中でも果敢に生きる祖母。
今でこそ歳を重ね、支えられる側に移っているが、数年前までは近所の年上の方の家に図々しくもお節介焼いていた。
「また火をつけっぱなしだった。私が行かんと火事が起きる!」とプンスコ怒って帰ってきてはまた訪問している記憶が鮮明に残っている。
そして今は支えられる側。誰にどう頼ればいいのか?その為にも相手への興味の熱は冷めない。
最近は生協の荷物を届けてくれるお兄さんの個人情報を聞き出しており「○○に生まれたんと。4月から転勤でここに来たんと。彼女は2年前くらいからいないんと。」と聞き出しては、毎週荷物を届けてくれる時間を楽しみにしている。
人って自分に興味を持たれて嫌な気はしないのであろう。今でもお兄さんと仲良くやっている。

しかし、祖母の情報収集力。
自分らしく生きる為にはそのくらいのバイタリティは必要なのかもしれない。

2023.06.07

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