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訪問4コマ漫画㉙「古い、アルバムのなかーーにーー。byH2O」

先日、リハビリ中にご家族からふるーーい写真を見せてもらう機会があった。

セピア色の古い写真だ。

一枚一枚大事にアルバムに貼られ、一言添えられてある。

服装や仕草からも時代を感じ、映る一人一人の表情から今にも声が聞こえてくるようなそんな写真。見れば見るほどついつい興奮してしまい、うっかりリハビリの時間を忘れ見入ってしまった私であった。

私は携帯電話を待つようになってから、写真はもっぱら携帯でパシャリ。現像することもなくずーっと携帯の中に保存されたままの私の想い出たち。

ちょっと、整理しないとなーと思うのであった。

 

 

訪問リハビリに携わるようになり私が大事にすることは、一人一人の人生だ。

訪問リハビリに従事して間もない頃、当時の指導者は私にこう教えてくれた。

「いかに情報を得て、どう整理するかが大切だ」と。

その時はふーーん。くらいにしか思ってなかった。

しかし、訪問リハビリを進めるにあたり、いわゆる「うまいセラピスト」というのはリハビリの技術はもちろんのこと、情報を引き出すのも上手くその情報を日々のリハビリに活かしたり、利用者、家族、ケアマネなどの関係各所とのコミュニケーションに使い、ザ・上手い!というのがわかった。

よく訪問リハビリのテキストに、家に入ってからが評価、アセスメントの始まりだと記載されている。今はお目にかかることが少なくなってしまった昭和のお土産の定番「ペナント」をみては話のタネにしたり。壁に飾った賞状もその一つ。綺麗に並べられた食器棚からもその人の人生を垣間見ることができる。

私は、学校ではいわゆる身体的評価、病気の事しか習ってこなかった。

私はそれが理学療法士として全てでありそれ以上なにか必要か?とも思っていたが、すぐさま壁にぶち当たる。

いま目の前にいる利用者様とリハビリするだけでは前に進めないのだ。
当たり前のこととだが、当たり前のことすぎて全くノーマークであったといえよう。

好きな食べ物しかり、どんな生活をしてきたか?どんなことに興味を持ってきたか?どこに旅行に行ったか?突き詰めれば結婚の馴れ初めまで。
そんな情報を交わすにつれて関係性はできるし、生きる動機を見つけることもできる。

効果的なリハビリはこんな些細な情報から生まれることもできる!

さてさて、写真をみながら感動している私。

「このひと誰ですかー?」

おもむろに発してしまった発言に、深く後悔する。。。

「それね、、、、若い時の私。いまは太っちゃって見る影もないけどね。。。」

やってしまった。

凍りついた空気が漂う。。。

皆さん、古い写真を見る時は気をつけよう。。。

想い出のなかに地雷があることを。

そう心に誓うのであった。

 

2023.05.11

訪問4コマ漫画㉘「都会の鷺から思うこと。。。」

先日、とあるご利用者様の息子様から

『うちの庭に、鷺がくるんだよ。』
と話があった。

またまたまたぁぁぁ、こんな都会のど真ん中に鷺が来ますか〜。それこそ、サギですよぉ。なんて、やり取りをかわりながら、すっかりそんなやり取りも忘れてしまっていた頃、、、

『ほら見て、この前ウチに来た鷺!』

きっと息子様は私からサギ呼ばわりされたのが癪に障ったのだろうか?飛来してきた鷺をしっかりと写真に収めてくれていた。

そこにはしっかりと真っ白な鷺が写っており、私は深く反省。そしてそもそも都会に鷺が飛来してくること自体にもビックリしたがその鷺のカッコイイたることや。
姿勢はピーンとしているし、羽の色は真っ白。

『都会の鷺はなんだか、垢抜けてますね。。』

思わず呟いてしまった。

 

 

今でこそ、東京で何年も訪問看護の仕事に就いているが、そもそも私はど田舎生まれのど田舎育ち。そして祖父母がよく面倒を見てくれていたこともあり、そして近所の人たちもちょっと悪ガキであった私ことを気にかけてくれていたためか、よく年配の方と接することが多かった。

それもあり、いま東京で年配の方のお手伝いをさせてもらっている中で色々ギャップを感じることが多いのも事実である。

まず初めに、皆さんの気持ちが若いこと。年齢を感じさせないバイタリティをお持ちである。90歳を越えようも爪の先までデコデコのネイルをしている方や、ジャニーズにお熱をあげている方、本当に気持ちが若い。

二つめに、みなさん姿勢が良い。
高齢者というと腰がすっかり曲がってしまっているイメージだった。実際、私の祖母も私が物心ついた時にはすっかり背中は曲がってしまい、伸びたところを見たためしがない。都会にはそんなひと、そーそーいない。(やや偏見ありますが笑)

三つめに、みなさんどこか張り合いがない。
初めて関東に来た際に、びっくりしたのは娯楽はもちろんのこと、医療、介護サービスかしっかりとあり、そして高度なサービスが受けられる環境。しかしその一方でどこか毎日張り合いのない日々だとこぼすご利用者様と接して、なんでだろうと思った。

私は理学療法士であり身体的なアプローチに関しては得意とする。

しかしいつも思うのは、いくら歩けるように練習しても、いくら痛みが軽くなっても、生きるための充実感ややりがいまでアプローチできているのかと。

『いつ逝ってもいいんだけどね。。。』

そんな一言を聞くと少し寂しくなるのである。

病院勤め時代は『自宅に帰ること』が目標であり、『生きること』まで考えを及ぼすことはなかった。確かに安全に安心して日々生活できることが基本であるので、それは間違いない。
しかし在宅でリハビリを提供するようになって、より『生きがい』がいかに大切か感じるようになったのだ。

私はひとつ思うのは、生きるためには

『仕事』『役割』『義務』
という物が、その方にあるのか否か。つまりはそれが、生きるための充実感や達成感へとつながるのではないかと。

私の祖母は90を超えているが未だに畑仕事をやりながら、お節介にも人の世話まで焼いている。
あんたに世話焼かれる人はどんな人なんだよ!とツッコミたくなる。

そして畑仕事も必要に迫られてやってる訳ではない。日々鍬をもち畑を耕すことが当たり前の仕事となっている。ただそれだけだ。

そんな祖母の姿を見ながら、今お手伝いさせてもらっている方たちに『仕事』や『役割』を見つけて差し上げることこそ、リハビリテーションの目標なのかもしれないと思うわけで。。

そう!「私は生きるためのリハビリを提供したいと思っているのだ」

大きな事を言いながらも実際できているのかは、ここでは置いておこう。

 

 

さて、鷺の話にもどろうか。

ご利用者様のご自宅にはちょっとした池があり、その中には小さな金魚が泳いでいる。

そんな状況だと田舎の鷺は一目散に金魚めがけて飛んでくるのだが、都会の鷺は高みからゆっくりと池をみては特段行動に移すことはない。

よく友人から訛りのなくなった言葉を話していると、『都会に染まったね』なんて冗談を言われることもあるが、都会という環境は鳥の習性までも変えてしまうのか?

なんてどうでも良い事を考える今日この頃であった。笑

2023.04.06

訪問4コマ漫画㉗『在宅におけるDIYとは』

 

誰にも言ったことがなかったが、私はホームセンターが好きである。便利グッズを探したり、ただただ綺麗に陳列された工具や部品を見るだけで何故かワクワクするのは何故だろうか?
幼い頃からやりたい!と思った事にはどちらかというと貪欲に挑戦してきたタチで、ワクワクさんやノッポさん(知ってる人はかなりのマニアかも!?)が作ってるものは真似をよくしていた。欠点はとにかく不器用なのと雑さであり、獅子おどしを作った時は「カポーン」という音は永遠に聞こえなかったし、竹とんぼを作ろうと竹を山から取ってきたが、結局飛ばなかった。挙げ句の果て、学校で縄文人はどんぐりでクッキーを焼いていたなんて話を聞いたら、やってみたくてたまらなくなり、作った自称どんぐりクッキーを当時のクラスメイトに食べさせようとして事件になったこともある。

 

そんな私だ。在宅現場で、福祉用具を置くには難しい環境やリハビリの場面でどうにかしたい!という気持ちがよくわきあがる。
そして100均やホームセンターでなにか使えるものはないかと探すのはルーティンになっている。

しかし、上には上がいるもんで、日曜大工の好きなご家族の作ったものが本当にさすが!なのである。
ちょっとの工夫でこんなにも生活が楽になるのか!?と本当に勉強になるばかりだ。

私が今までの在宅現場でさすが!と思った福祉用具の使い方やDIYをいくつか紹介したい。

 

1人目は目が見えずひとりで生活をしていたAさん。
屋内の移動はベットからトイレまでの移動になるが、そこでの転倒が多かった。
そこでAさんは腹を括った。その名も『ベストポジションバーによる竹薮作戦』
これでもか!というほどベストポジションバーを家の中に建て、トイレまでの動線の安全を確保したのだ。まるで竹取物語の竹薮のようになった部屋。それにより転倒は格段に減った。デメリットは同居者がいたら邪魔で仕方ないこと。幸いにAさんは一人暮らしだったため、特段問題はなかったのである。

 

2人目は床のものを拾えないBさん。
福祉用具ではマジックハンドとか、リーチャーとか床のものを拾うためのものは販売されているが、「そんなハイカラなもの私には使えん!」というBさんは『火バサミ滑り止めシート作戦!』選択した。使い慣れた火バサミの先に、滑り止めシートを巻いてつかみやすくした。確かに使い慣れた火バサミの方がしっかりとつかめそうだ!デメリットは滑り止めシートに埃がたくさんつくこと。定期的に滑り止めシートを交換しないといけないことだ。

 

3人目はこれぞDIY!家の構造に合わせてスロープつくったCさん。
奥様が脳梗塞を患い車椅子生活となってしまった。外に出るにはスロープを使わないと出れない。しかし家の構造にベストマッチしたスロープがなかったのだ。
ディサービスに行くのに車椅子を男2人がかりで持ち上げますか?なんてケアマネと話してるなか、旦那様はなんとスロープを作ってしまったのだ。しかも機能的で、しっかり蝶番もつけ収納もコンパクトにできる強者。さすがである。

まだまだこれぞ!という方はたくさんいて本当に勉強になる。

たしかに安全基準を問うとDIYで作ったものは大丈夫か?と不安にはなるものもあるが、私は病気を患ったことで生じた生活の不自由さをなんとかしようと考えて実行するその気持ちを尊重したいし、大事にしたい。

生きる、生きていくというのはそういうことだと。思うのだ。

 

さて私のDIYの話に戻ろう。
私が唯一自信をもって役に立ったのは、

手作り足台。

ジャンプとかマガジンとかの雑誌を何冊か重ねて、ガムテープで巻き巻きにして台をつくり、股関節が曲がらず上り框が登れない方への手作り足台だ。

へっ。それ?それだけ??

不器用な私はあれよこれよとアイデアは浮かぶものの、成功したためしがほとんどないのだ。この程度のものしかつくれない。唯一はその人の好みに合わせて雑誌を巻くガムテープの色を使い分けることぐらいだ。

どうか手先の器用なあなた。

私のアイデアを実現することを手伝ってくれないだろうか、、、?

2023.03.08

訪問4コマ漫画㉖『できる・できないの判断って?』

 

昨今、車の運転に関してニュースでもよく取り上げられている。

『車の運転は何歳までできるの?』と問われると、運転免許の取得は18歳から可能とは法律で決められている一方で何歳までできるという点に関してはルールはない。

いまは70歳以上の方々を対象に免許更新の際に高齢者講習の受講が義務付けられ、75歳以上の方は免許更新時に認知機能検査と高齢者講習の受講が必要とされている。

何をもってできるのかできないのか?その判断は難しく、同等のことはリハビリの現場でもよく考えさせられる。

その判断を誤るともちろん転倒や怪我、事故に繋がるのは言うまでもないが、私は常々その判断はただ危険を判断することだけではないと感じている。とても難しいと感じるのだ。

皆さんも街中でヨタヨタとあるきながらも1人で買い物などをしている方を見かけることがあるだろう。その時はどう思う?

『えらいねぇ。身体大変そうだけど自分で買い物して』なんて思うのではないだろうか?

他にも、「ダー○の旅」や「ポツ○と一軒家」などの番組で山道を歩いている高齢者を見ると、えらいねーとなるわけで、、、

 

しかし、一度専門家として関わるとどうだろか?

そのような状態だと『危ないから、買い物は誰かと一緒にいきましょうね。』となってしまうことが往々にしてある。

一方で、1人でできることが多いにも関わらず、どこか一歩踏み出せず、誰かがいないと何も始まらない方もいるのも事実なわけで、、、

 

ではなぜ、そのような事が起こってしまうのか?

 

それは本人ないし家族の『危ない!』に対する価値観も影響しているのではと思う。

その価値観は例えば、転ぼうとも「やりたい、やらなければ」という想いが強ければどんな状況でも自分でなんとかできれば頑張るわけで、、、

一方で、一度転んで痛い想いなどしたら、私は1人ではできないという気持ちにもなるわけで、、、できる事もできない!になってしまう事もあるわけで、、、

その判断は非常に難しい!!!

 

 

ちょっと話は変わるが、理学療法士ってなんなんだろう?と悶々と考えた時期があった。

筋トレは誰でもできるし、歩行介助とかも家族や介護士もできる。ではリハビリ専門職として私は何が特別なんだろう?と考えた時期があった。

その時、たどり着いた境地に(果たしてその境地は正しいのかはわからないが)個々人の身体機能、生活動作、住環境環境、生活予後予測などに関して評価ができるのが理学療法士としての強みではないかと思ったのだ。

それはただただ、できるできないで判断する事なく、本人、家族の心情や置かれた環境によってもしっかり評価、そして判断をするのが大切な事だと思うのだ。

私は理学療法士としてその人の人生を奪ってはならない。やりたいことに制限をかけてはいけない。むしろ、やりたいことを続けるための支援をしていくことも大切だと。

また、やらないことを否定してはいけない。やらないこと、できないことには理由があるわけでそれによって起こりうる身体的リスクを一緒に考えていることが大切だと。

先日、田舎に帰省した際に母と車の運転に関して話した。

田舎でも高齢者の運転に関しては問題になっている。しかし田舎はバスや電車はほぼ皆無。運転できなければ必要なものも調達することが難しいのが現状だ。

母は言った。

とある高齢の男性に関して昨今の運転事情から娘様息子様が車の運転をやめるように説得したそうだ。

するとどうだろう。

その高齢男性は、農作業で使っていたトラクターをつかって運転しスーパーまで買い物に行ったそうな。

またまたぁぁぁ。と、にわかに信じがたい。作り話にも程があると思ったが、母は続けた。

『○○スーパーに買い物行った時に見たのよ。そんな起点がきくなら、認知症じゃないかもね~笑』

たしかに、、、

買い物に対する意欲。
家族の想いを組んで、私はもし、ケアマネさんなどからその状況に関して相談を受けた時どんな返答をするか、、、

とても判断に難しい。。。。

※ トラクターは道路交通法で「小型特殊自動車(規格によっては大型特殊自動車)」に分類され、道路交通法のルールが適用される歴とした自動車です。

2023.02.15

訪問4コマ漫画㉕『一年の計は元旦にあり』

第25話 一年の計は元旦にあり

 

2023年の開幕である。
『一年の計は元旦にあり』私は毎年1年の目標を立てているのだが、ここ最近目標を立てることだけが目標となり全くそれに見合った行動を起こしてない。

あかん!あかんですよ。これは。。。。

さて、皆さんリハビリテーションという言葉はもう馴染みがあると思うが、改めてこの定義に関して考えたことがあるだろうか?

1982年の国連・障害者に関する世界行動計画においては、リハビリテーションとは「身体的・精神的・かつまた社会的に最も適した機能水準の達成を可能とすることによって、各個人が自らの人生を変革していくための手段を提供していくことをめざし、かつ、時間を限定したプロセスである」と定義されている。

ここで注目していただきたいのは、時間を限定したプロセスというところだ。

病院などにおいて実施されるリハビリには期間に限りがあり、その期限までに身体機能の回復や家屋評価や退院後の生活など見据えて実施していかなければならない。つまり自然とその時々で何を行なっていかなければならないのか?は見えてくるのである。

一方で在宅におけるリハビリではどうであろう。1週間に介入できる時間に限りはあるが、期間としての限りはないのが現状だ。

私は訪問リハビリ業務についた時に指導にあたってくれた先輩によく問われた。

「何のためにリハを行なっているの?その意味は?」と。

最初は、うるさい先輩だなー。。。利用者が必要としているからリハビリしているんだよ!と生意気な態度をとり、どこかリハビリを行う自分自身に自信と価値さえも感じていた。

そんな後輩を指導する先輩はきっと苦労しただろう。

在宅でのリハビリにおいては、介入当初に定めた目標が曖昧であったり評価や予後予測が十分にできてないと、いつの間にかリハビリ自体の介入がルーティン化されてしまうことがあると感じる。

もちろんケアマネジャーが作成するケアプランに沿ってリハビリ介入を行なっていくのであるが、我々も訪問看護計画書を作成しなければならない。そこには評価、それに基づいた問題点、解決策、目標と記載していくのである。

訪問リハビリを始めた当時は今ほど電子カルテの普及はなく、訪問看護計画書も複写の用紙を使っていた。今と大きく用紙形式は変わろうとも内容は大きく変わらない。

その日もせっせと私は利用者の計画書を作成していた。
その時先輩は上の質問を投げかけてきたのだ。

答えに詰まっている私を見て先輩はゆっくりと話してくれた。

「訪問リハビリは期間に限りはない。極端な言い方をすれば揺り籠から墓場まで介入することができる。でも本来のリハビリの役割はそうではない。あなたの書いている目標は誰の目標なの?」と

そして続けてこうも言った。

「リハビリは何をやってもいい。それをきちんと説明、意味を持たせることができるようになりなさい」と。

何とも含みを持たせた言い方ですぐには理解ができなかった。それがだんだん理解できるようになってきたのは訪問リハビリを始めてしばらく経った頃だった。

ある時から、自分のリハビリは意味があるのだろうか?と感じることが多くなった。日々の生活が安定している利用者に対して、特別身体機能に問題がない、または大きな改善が見込めない方に対して果たして私は何のためにリハビリを行なっているのだろうかと?

まさに蟻地獄状態である。考えれば考えるほどわからなくなる。

そんな負のループに入った生意気な後輩の状態をいち早く感じ、的確なタイミングで指導してくれたのもその先輩であった。

まず、在宅においてもリハビリを続けていくことが美徳ではないこと、終了、卒業も視野に入れて介入をしていく必要があること。サービスの中で(ケアプランの中で)自分の役割をしっかり見極めること。利用者の予後予測をすること。それを踏まえた上で、自身のリハビリ介入に意味を持たせること。

私になかった視点である。

特に訪問リハビリを始めた頃は、理学療法士にありがちなのだろうか?身体機能の問題点や改善のみにフォーカスしずぎており、生活そのものに配慮できず壁にぶち当たることが多かった。

そして卒業、終了の判断も身体機能の改善ではなく生活そのものの変化や意識の変化、他サービスへの移行などもあることなどへの意識もなかったのである。

そんな先輩の作成する計画書を見ていると、目標の欄が空白であるものが何枚かあった。

先輩に問うと、計画書の説明をする際に一緒に利用者様と目標を擦り合わせその場で書き込むと。

参った。

その一言に尽きた。

目標を擦り合わせるという作業にそんな方法があったのか?と。

そうすることで利用者自身にもリハビリを受ける目標や意義を再認識することができると。

さて、このコラムを読んでいただいている物好きなリハビリ従事者、今一度自身の作成する計画書など振り返ってほしい。

その計画書、誰に向けた計画書ですか?と。

ちょっと考えてほしい。

自身の介入に意味を持たせてますか?と。

ちょっと考える時間を持つことで、きっと明日からの介入が、やっていることはいつもと変わらなくともきっと気持ちは変わるはずである。

ちょっと待てよ!!

今日立てた自身の新年の目標はどうなのか?
誰の目標なのか?
そう、私の目標です。目標を立てるだけに力尽きた2022年。2023年はどうなるか?
どうか一皮向けた自分に会えることを期待しつつ、2023年スタートすることとしよう。

2023.01.11

訪問4コマ漫画㉓『スマホに白熱』

 

 

2007年に日本で初めて発売されたスマートフォン。
そういや、私も新しもの好きですぐに手を出してしまったのを記憶している。使い方がわからず、とんでもないところに電話がかかってしまっていたりして恥ずかしい思いもした。

今となっては仕事においてもプライベートにおいてもスマホなしには日々生活を送ることが考えられなくなっており、普及率は現在9割超(総務省:令和3年通信利用動向調査の結果より)老若男女に使用される生活必需品となっている。
高齢者のスマホ普及率も徐々に高まっているのは、担当しているご利用者様方が続々とガラケーを卒業してスマホにチェンジしているのを見ると実感する。

 

実は、スマホやタブレットは訪問リハビリの現場では意外と活躍するのである。

例えば、、、
・某動画アプリを利用して昔の音楽を流して一緒に歌を歌う。

・地図アプリを利用して、ご実家の写真を見せて懐かしむ。(Google Earthはよく使う)

・脳トレゲームを通して熱戦を繰り返す。

などなど、使い方は様々だ。

そしてなんといっても、こんな機械を使いこなす私を(当たり前のことをやってるだけなのだが)『すごい!』と崇めてくれ私の自己肯定感が上がっている。

そんなスマホとご利用者様とのほっこりエピソードを紹介しよう。

 

 

Aさんはとても勉強熱心で、90を超えた今でも机に向かい書き物をたくさんしていた。毎月俳句を投稿したり新聞の切り抜きをスクラップしたりと、家の中そのものがまるで歴史ある図書館のように本で埋め尽くされていた。そんな部屋をみて、本好きの私は羨ましく思ったもので、Aさんに『本棚素敵ですね!』と褒めると『ぐらっと地震でもしたら生き埋めになっちゃうけどね』と冗談も言えるそんなお茶目なインテリAさんであった。

Aさんは何冊も本を書き、国立図書館にも寄贈するくらいな方で、いまでも本を作ることを目標に日々机に向かっている。しかし年齢をかさね思うように身体が動かなくなり、思うように仕事(やりたい事)が進まないことも嘆いているようだった。

 

そんなAさんとのリハビリは運動した後に脳トレタイムとしてタブレットやスマホを利用してゲームをしたり、その日その日で気になったことを一緒に調べたり、脳トレゲームでは奥様も参加して白熱する。

『あなた、それ違うわよ!』

奥様のチャチャ入れさえも愛おしくなるくらい、ほっこりした時間をまったり堪能するのは私だ。

 

そんなある日Aさんが、『僕にもスマホできるかな?』と私に聞いてきた。週一回のリハビリでは足りず自分でもっと色々調べたりゲームしたりして楽しみたいとのこと。
私は、『教えますよ!』と伝えた。

すると、なんと翌週にはスマホを買ってきていたのだ!奥様と携帯ショップに行き買ってきたのだ。なんというバイタリティ!行動力!

そこから毎回リハビリの後でのスマホ教室が始まったのだ。Aさんは熱心にメモをとりながらなんとかマスターしようと練習する。上手く画面タッチできないと分かれば、タッチペンを使って使いこなす。
ある時は、変なメールが来たと慌てふためく。
そんな毎回のやり取りがとても一生懸命で私も楽しくなってしまうのだ。

 

私はよく思う。
高齢者のリハビリをしていて、日々何か物足りなさを感じている高齢者の方が多いなぁと。

心身の衰えや、社会、交友関係の変化で今まであった充実感や満足感はポッカリと穴を空いてしまった。趣味なども『昔と同じように』というイメージにてなかなか身体がついてこず、一歩踏み出せない。

そのため、『いつ迎えがきてもよい!』とおっしゃる方も多いのだ。
もちろんそれは悪いわけではない。

 

 

しかし私の信念に

『明日が楽しくなるリハビリを提供する!』

と掲げている。

そのためになにかできないのか日々あれやこれやと思うのだ。

 

さて今日もA様と奥様と一緒に脳トレゲーム大会を開催する。

実は普段はこの夫婦、どちらかというとおっとりタイプのご夫婦で、お互い耳が遠くなったがなんだかんだとのんびり暮らしておられる。
しかし、ゲームとなったらどうだろう。お互い我先にと問題を読み、正解を叫ぶのだ。普段旦那様優先の奥様も身を乗り出して参加してくる。

そんなA様夫婦をみて私はふと思う。
歳を重ねたことによる、喪失感や焦燥感は埋めるだけが解決策ではないと。

喪失感や焦燥間は人生の一つの個性だと思うと、向き合い方は変わってくる。

A様はたまたまスマホという新しいアイテムをゲットした!

喪失感や焦燥感はなくなったわけではないけど、新たな挑戦を得たことで何かが変わった。

普段穏やかな夫婦が、スマホゲームで白熱してる。
白熱した様子は普段の穏やかな時間からは想像できないピリピリモード。もはや高校生クイズ。ファイヤーーーー!

 

どうかスマホをきっかけに夫婦仲が悪くなることだけは避けていかなければならない。。と思う今日この頃であった。

2022.11.02

訪問4コマ㉒『在宅生活における多様性とは!?』

 

『多様性』ここ最近よく耳にする言葉だ。

ネットで調べると「ある集団の中に異なる特徴・特性を持つ人がともに存在すること」と書いてある。

私が多様性を語るには勉強不足であるが、在宅生活を支援する身として「多様性」は日々感じながらリハビリを行っているのが本音だ。そして「可能性」も感じながら支援させてもらっている。これまでコラムでも書いてきたように私が今まで出会ってきたご利用者様方は本当に個性豊かであり、人生そのものが色とりどりで、24色のクーピーでは描けないほどである。個性という言葉で片付けて良いのか?と思うほどだ。

 

Nさんも個性豊かなその1人。

出会った当時は90歳を超えていた。自宅内にて車いす自走生活。近所に息子様夫婦もいるが、共に住んではおらずお孫さんが一緒に住んでいた。お孫さんは仕事があるためおばあちゃんの介護にはほぼノータッチ。ちょっと言葉が悪いが、生存確認するくらいだったであろう。

 

初めて会った時、おや?なんて可愛いおばあちゃんなんだろう!と思った。なぜなら、90歳を超えたおばあちゃんが、なんと『ムームー』を着ていたのだ。ムームーと聞いてパっとイメージできない方は、花柄のワンピースとでも思ってもらっていい。明るい色柄のワンピース。ハワイのフラダンスを今にも踊り出しそうな感じだ。

私は理学療法士になり、かれこれ15年近くなるが、経験を重ねるにつれて、いわゆる『感』というものが積み重なった。それはとても便利であり良いことだが、『感』は時として『先入観』と変化し、大事なことを見落とす要因になると感じる。

 

「高齢者はこんなもんだ、この疾患はこんな感じだとついつい決めつけてしまうのだ。。」

 

Nさんは車いすでほぼ1人で生活。どうやって生活してるのか?と疑問に疑問を重ね、そしてムームーという出で立ちに、私は迷宮入りをしていたのだ。

訪問を重ねるにつれて少しずつその謎は解けていくのであるが、それでも「ほ、本当に?」と思ってしまうのだ。

・夜トイレに行く時はどうしてるの?

・ご飯はどうしてるの?

・寝る時はどうしてるの?

などついつい質問ばかり多くなってしまう。

 

大学を卒業して病院勤めを始めた頃、退院に向けリハビリを行なっていた時、当時同じ訪問リハビリチームの先輩から『生活を点ではなく線で見ないとリハはできないよ!』と指導を受けたことがある。トイレ動作練習、着替える練習など個々のADL練習は行ってきたが、その前後のつながりまで思考を働かせることができなかったことを思い出す。

いま在宅リハビリに従事して数年経つにつれ、生活を線で見ることができるようになったと感じる。しかし実際はそこに「個性」という、つまりそれぞれの人生、趣味嗜好が関わるのである。そりゃ頭を悩ませるに違いない。

いままでの私の話を聞いて、違和感を感じた方、「えっ?そんなに在宅生活に関わるのって難しい?」と思った方、今一度振り返って欲しい。ついつい自分の眼鏡をかけたままご利用者様と接してないかと?

あーしたほうがいい、こーしたほうがいい!というのは、知識と経験が生み出すものであり、それがご利用者様にとってもちろんプラスになる。

でもね、一呼吸つくことも忘れないで欲しい。それが、本当にご利用者様にとって最高の選択なのかと?

多様性を受け入れず(気が付かず)可能性までも潰していないかと。

 

よく、利用者様に『先生にお任せします。』なんて言葉をかけられることある。
信頼されてるんだー!なんて喜んでちゃダメじゃないか?と思う。
もちろん、リハビリはやりやすいかもしれない、あーして、こーしてとこちらがプランを立てれば従順に頑張ってくれる。それなりの成果が得られるだろう。しかしそれでいいのだろうか?

多様性を受け入れることも大事だが、多様性を引き出すことも私はこの仕事の醍醐味ではないかと思うのであって、、、

 

さて、謎大きNさん。
・夜トイレに行く時はどうしてるの?

の答えを聞きたかろう皆さん。

その答えはこれだ。
『夜寝るのが日付を超えてからだから、夜は1人でトイレに行くことはありません』

は、は、は。。。

年配者は早寝早起きだと決めつけてた私。

そうだよね、夜更かしするよね。

どんな深夜ドラマみてるのかな?

ますます謎は深まり迷宮入りするのであった。

2022.10.05

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