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訪問4コマ漫画㉕『一年の計は元旦にあり』

第25話 一年の計は元旦にあり

 

2023年の開幕である。
『一年の計は元旦にあり』私は毎年1年の目標を立てているのだが、ここ最近目標を立てることだけが目標となり全くそれに見合った行動を起こしてない。

あかん!あかんですよ。これは。。。。

さて、皆さんリハビリテーションという言葉はもう馴染みがあると思うが、改めてこの定義に関して考えたことがあるだろうか?

1982年の国連・障害者に関する世界行動計画においては、リハビリテーションとは「身体的・精神的・かつまた社会的に最も適した機能水準の達成を可能とすることによって、各個人が自らの人生を変革していくための手段を提供していくことをめざし、かつ、時間を限定したプロセスである」と定義されている。

ここで注目していただきたいのは、時間を限定したプロセスというところだ。

病院などにおいて実施されるリハビリには期間に限りがあり、その期限までに身体機能の回復や家屋評価や退院後の生活など見据えて実施していかなければならない。つまり自然とその時々で何を行なっていかなければならないのか?は見えてくるのである。

一方で在宅におけるリハビリではどうであろう。1週間に介入できる時間に限りはあるが、期間としての限りはないのが現状だ。

私は訪問リハビリ業務についた時に指導にあたってくれた先輩によく問われた。

「何のためにリハを行なっているの?その意味は?」と。

最初は、うるさい先輩だなー。。。利用者が必要としているからリハビリしているんだよ!と生意気な態度をとり、どこかリハビリを行う自分自身に自信と価値さえも感じていた。

そんな後輩を指導する先輩はきっと苦労しただろう。

在宅でのリハビリにおいては、介入当初に定めた目標が曖昧であったり評価や予後予測が十分にできてないと、いつの間にかリハビリ自体の介入がルーティン化されてしまうことがあると感じる。

もちろんケアマネジャーが作成するケアプランに沿ってリハビリ介入を行なっていくのであるが、我々も訪問看護計画書を作成しなければならない。そこには評価、それに基づいた問題点、解決策、目標と記載していくのである。

訪問リハビリを始めた当時は今ほど電子カルテの普及はなく、訪問看護計画書も複写の用紙を使っていた。今と大きく用紙形式は変わろうとも内容は大きく変わらない。

その日もせっせと私は利用者の計画書を作成していた。
その時先輩は上の質問を投げかけてきたのだ。

答えに詰まっている私を見て先輩はゆっくりと話してくれた。

「訪問リハビリは期間に限りはない。極端な言い方をすれば揺り籠から墓場まで介入することができる。でも本来のリハビリの役割はそうではない。あなたの書いている目標は誰の目標なの?」と

そして続けてこうも言った。

「リハビリは何をやってもいい。それをきちんと説明、意味を持たせることができるようになりなさい」と。

何とも含みを持たせた言い方ですぐには理解ができなかった。それがだんだん理解できるようになってきたのは訪問リハビリを始めてしばらく経った頃だった。

ある時から、自分のリハビリは意味があるのだろうか?と感じることが多くなった。日々の生活が安定している利用者に対して、特別身体機能に問題がない、または大きな改善が見込めない方に対して果たして私は何のためにリハビリを行なっているのだろうかと?

まさに蟻地獄状態である。考えれば考えるほどわからなくなる。

そんな負のループに入った生意気な後輩の状態をいち早く感じ、的確なタイミングで指導してくれたのもその先輩であった。

まず、在宅においてもリハビリを続けていくことが美徳ではないこと、終了、卒業も視野に入れて介入をしていく必要があること。サービスの中で(ケアプランの中で)自分の役割をしっかり見極めること。利用者の予後予測をすること。それを踏まえた上で、自身のリハビリ介入に意味を持たせること。

私になかった視点である。

特に訪問リハビリを始めた頃は、理学療法士にありがちなのだろうか?身体機能の問題点や改善のみにフォーカスしずぎており、生活そのものに配慮できず壁にぶち当たることが多かった。

そして卒業、終了の判断も身体機能の改善ではなく生活そのものの変化や意識の変化、他サービスへの移行などもあることなどへの意識もなかったのである。

そんな先輩の作成する計画書を見ていると、目標の欄が空白であるものが何枚かあった。

先輩に問うと、計画書の説明をする際に一緒に利用者様と目標を擦り合わせその場で書き込むと。

参った。

その一言に尽きた。

目標を擦り合わせるという作業にそんな方法があったのか?と。

そうすることで利用者自身にもリハビリを受ける目標や意義を再認識することができると。

さて、このコラムを読んでいただいている物好きなリハビリ従事者、今一度自身の作成する計画書など振り返ってほしい。

その計画書、誰に向けた計画書ですか?と。

ちょっと考えてほしい。

自身の介入に意味を持たせてますか?と。

ちょっと考える時間を持つことで、きっと明日からの介入が、やっていることはいつもと変わらなくともきっと気持ちは変わるはずである。

ちょっと待てよ!!

今日立てた自身の新年の目標はどうなのか?
誰の目標なのか?
そう、私の目標です。目標を立てるだけに力尽きた2022年。2023年はどうなるか?
どうか一皮向けた自分に会えることを期待しつつ、2023年スタートすることとしよう。

2023.01.11

訪問4コマ漫画㉓『スマホに白熱』

 

 

2007年に日本で初めて発売されたスマートフォン。
そういや、私も新しもの好きですぐに手を出してしまったのを記憶している。使い方がわからず、とんでもないところに電話がかかってしまっていたりして恥ずかしい思いもした。

今となっては仕事においてもプライベートにおいてもスマホなしには日々生活を送ることが考えられなくなっており、普及率は現在9割超(総務省:令和3年通信利用動向調査の結果より)老若男女に使用される生活必需品となっている。
高齢者のスマホ普及率も徐々に高まっているのは、担当しているご利用者様方が続々とガラケーを卒業してスマホにチェンジしているのを見ると実感する。

 

実は、スマホやタブレットは訪問リハビリの現場では意外と活躍するのである。

例えば、、、
・某動画アプリを利用して昔の音楽を流して一緒に歌を歌う。

・地図アプリを利用して、ご実家の写真を見せて懐かしむ。(Google Earthはよく使う)

・脳トレゲームを通して熱戦を繰り返す。

などなど、使い方は様々だ。

そしてなんといっても、こんな機械を使いこなす私を(当たり前のことをやってるだけなのだが)『すごい!』と崇めてくれ私の自己肯定感が上がっている。

そんなスマホとご利用者様とのほっこりエピソードを紹介しよう。

 

 

Aさんはとても勉強熱心で、90を超えた今でも机に向かい書き物をたくさんしていた。毎月俳句を投稿したり新聞の切り抜きをスクラップしたりと、家の中そのものがまるで歴史ある図書館のように本で埋め尽くされていた。そんな部屋をみて、本好きの私は羨ましく思ったもので、Aさんに『本棚素敵ですね!』と褒めると『ぐらっと地震でもしたら生き埋めになっちゃうけどね』と冗談も言えるそんなお茶目なインテリAさんであった。

Aさんは何冊も本を書き、国立図書館にも寄贈するくらいな方で、いまでも本を作ることを目標に日々机に向かっている。しかし年齢をかさね思うように身体が動かなくなり、思うように仕事(やりたい事)が進まないことも嘆いているようだった。

 

そんなAさんとのリハビリは運動した後に脳トレタイムとしてタブレットやスマホを利用してゲームをしたり、その日その日で気になったことを一緒に調べたり、脳トレゲームでは奥様も参加して白熱する。

『あなた、それ違うわよ!』

奥様のチャチャ入れさえも愛おしくなるくらい、ほっこりした時間をまったり堪能するのは私だ。

 

そんなある日Aさんが、『僕にもスマホできるかな?』と私に聞いてきた。週一回のリハビリでは足りず自分でもっと色々調べたりゲームしたりして楽しみたいとのこと。
私は、『教えますよ!』と伝えた。

すると、なんと翌週にはスマホを買ってきていたのだ!奥様と携帯ショップに行き買ってきたのだ。なんというバイタリティ!行動力!

そこから毎回リハビリの後でのスマホ教室が始まったのだ。Aさんは熱心にメモをとりながらなんとかマスターしようと練習する。上手く画面タッチできないと分かれば、タッチペンを使って使いこなす。
ある時は、変なメールが来たと慌てふためく。
そんな毎回のやり取りがとても一生懸命で私も楽しくなってしまうのだ。

 

私はよく思う。
高齢者のリハビリをしていて、日々何か物足りなさを感じている高齢者の方が多いなぁと。

心身の衰えや、社会、交友関係の変化で今まであった充実感や満足感はポッカリと穴を空いてしまった。趣味なども『昔と同じように』というイメージにてなかなか身体がついてこず、一歩踏み出せない。

そのため、『いつ迎えがきてもよい!』とおっしゃる方も多いのだ。
もちろんそれは悪いわけではない。

 

 

しかし私の信念に

『明日が楽しくなるリハビリを提供する!』

と掲げている。

そのためになにかできないのか日々あれやこれやと思うのだ。

 

さて今日もA様と奥様と一緒に脳トレゲーム大会を開催する。

実は普段はこの夫婦、どちらかというとおっとりタイプのご夫婦で、お互い耳が遠くなったがなんだかんだとのんびり暮らしておられる。
しかし、ゲームとなったらどうだろう。お互い我先にと問題を読み、正解を叫ぶのだ。普段旦那様優先の奥様も身を乗り出して参加してくる。

そんなA様夫婦をみて私はふと思う。
歳を重ねたことによる、喪失感や焦燥感は埋めるだけが解決策ではないと。

喪失感や焦燥間は人生の一つの個性だと思うと、向き合い方は変わってくる。

A様はたまたまスマホという新しいアイテムをゲットした!

喪失感や焦燥感はなくなったわけではないけど、新たな挑戦を得たことで何かが変わった。

普段穏やかな夫婦が、スマホゲームで白熱してる。
白熱した様子は普段の穏やかな時間からは想像できないピリピリモード。もはや高校生クイズ。ファイヤーーーー!

 

どうかスマホをきっかけに夫婦仲が悪くなることだけは避けていかなければならない。。と思う今日この頃であった。

2022.11.02

訪問4コマ㉒『在宅生活における多様性とは!?』

 

『多様性』ここ最近よく耳にする言葉だ。

ネットで調べると「ある集団の中に異なる特徴・特性を持つ人がともに存在すること」と書いてある。

私が多様性を語るには勉強不足であるが、在宅生活を支援する身として「多様性」は日々感じながらリハビリを行っているのが本音だ。そして「可能性」も感じながら支援させてもらっている。これまでコラムでも書いてきたように私が今まで出会ってきたご利用者様方は本当に個性豊かであり、人生そのものが色とりどりで、24色のクーピーでは描けないほどである。個性という言葉で片付けて良いのか?と思うほどだ。

 

Nさんも個性豊かなその1人。

出会った当時は90歳を超えていた。自宅内にて車いす自走生活。近所に息子様夫婦もいるが、共に住んではおらずお孫さんが一緒に住んでいた。お孫さんは仕事があるためおばあちゃんの介護にはほぼノータッチ。ちょっと言葉が悪いが、生存確認するくらいだったであろう。

 

初めて会った時、おや?なんて可愛いおばあちゃんなんだろう!と思った。なぜなら、90歳を超えたおばあちゃんが、なんと『ムームー』を着ていたのだ。ムームーと聞いてパっとイメージできない方は、花柄のワンピースとでも思ってもらっていい。明るい色柄のワンピース。ハワイのフラダンスを今にも踊り出しそうな感じだ。

私は理学療法士になり、かれこれ15年近くなるが、経験を重ねるにつれて、いわゆる『感』というものが積み重なった。それはとても便利であり良いことだが、『感』は時として『先入観』と変化し、大事なことを見落とす要因になると感じる。

 

「高齢者はこんなもんだ、この疾患はこんな感じだとついつい決めつけてしまうのだ。。」

 

Nさんは車いすでほぼ1人で生活。どうやって生活してるのか?と疑問に疑問を重ね、そしてムームーという出で立ちに、私は迷宮入りをしていたのだ。

訪問を重ねるにつれて少しずつその謎は解けていくのであるが、それでも「ほ、本当に?」と思ってしまうのだ。

・夜トイレに行く時はどうしてるの?

・ご飯はどうしてるの?

・寝る時はどうしてるの?

などついつい質問ばかり多くなってしまう。

 

大学を卒業して病院勤めを始めた頃、退院に向けリハビリを行なっていた時、当時同じ訪問リハビリチームの先輩から『生活を点ではなく線で見ないとリハはできないよ!』と指導を受けたことがある。トイレ動作練習、着替える練習など個々のADL練習は行ってきたが、その前後のつながりまで思考を働かせることができなかったことを思い出す。

いま在宅リハビリに従事して数年経つにつれ、生活を線で見ることができるようになったと感じる。しかし実際はそこに「個性」という、つまりそれぞれの人生、趣味嗜好が関わるのである。そりゃ頭を悩ませるに違いない。

いままでの私の話を聞いて、違和感を感じた方、「えっ?そんなに在宅生活に関わるのって難しい?」と思った方、今一度振り返って欲しい。ついつい自分の眼鏡をかけたままご利用者様と接してないかと?

あーしたほうがいい、こーしたほうがいい!というのは、知識と経験が生み出すものであり、それがご利用者様にとってもちろんプラスになる。

でもね、一呼吸つくことも忘れないで欲しい。それが、本当にご利用者様にとって最高の選択なのかと?

多様性を受け入れず(気が付かず)可能性までも潰していないかと。

 

よく、利用者様に『先生にお任せします。』なんて言葉をかけられることある。
信頼されてるんだー!なんて喜んでちゃダメじゃないか?と思う。
もちろん、リハビリはやりやすいかもしれない、あーして、こーしてとこちらがプランを立てれば従順に頑張ってくれる。それなりの成果が得られるだろう。しかしそれでいいのだろうか?

多様性を受け入れることも大事だが、多様性を引き出すことも私はこの仕事の醍醐味ではないかと思うのであって、、、

 

さて、謎大きNさん。
・夜トイレに行く時はどうしてるの?

の答えを聞きたかろう皆さん。

その答えはこれだ。
『夜寝るのが日付を超えてからだから、夜は1人でトイレに行くことはありません』

は、は、は。。。

年配者は早寝早起きだと決めつけてた私。

そうだよね、夜更かしするよね。

どんな深夜ドラマみてるのかな?

ますます謎は深まり迷宮入りするのであった。

2022.10.05

訪問4コマ㉑『年齢の壁』

先日、利用者様のご家族より、和田秀樹先生執筆の『80歳の壁』という本を読んでいるんだ!とあった。

40歳の壁さえも乗り越えることができるのか⁉️と若干の不安を感じている私に、もはや80歳の壁など想像できない。

しかし一方で、この本がヒットし、多くの方の共感を得ているにはきっと理由があるのだろう。まだ読んでない私。読んでみよう!

さてさて私は、その80歳の壁を目前にした方やとうの昔に越えた方を日頃からお手伝いしている。

その人らしく人生を全うするということに注目すれば、地域包括ケアシステムに
『高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的のもとで、可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができる』
というのが掲げてある。

私はこの考えに賛同する一方で、利用者様から聞く声に『ムーーーっ』と憤りを感じることも多々ある。

近年多くのメディア、雑誌、本に健康情報はわんさか沢山あり、新聞をめくれは『○○して長生き元気!』という感じの見出しの宣伝が多く見られる。そして元気高齢者を崇めるかのごとく紹介するテレビ番組も多い。
それを否定するつもりは全くないのであるが、それに振り回されている方もいるのが事実で、、、『昨日ポツンと○○家で90歳を超えた方が1人で○○して生活してたのよ。それ見たら私は情けない。』なんてションボリ話しているのを見ると「あの人は神に選ばれし特別な人なの。比べちゃだめよ。」なんて気休めの慰めの言葉をかけるしかない私にションボリしてしまう。

さて、ここで『自分らしい暮らしを人生の最期まで』とあるが、自分らしいとはなんだろうか?

私は、『訪問リハビリはその方の生活、人生を支援する』と常に考えており、身体機能のみに特化したリハビリの提供ではその方を幸せにできないと思っている。

そしてその人らしく生活するために大事な事との一つに『生きる役割』があるか否かではないか⁉️と感じている。

そしてその役割は『内的生きる役割』か『外的生きる役割』(hyodo造語)かによってその時々で対処が異なると感じている。内的生きる役割とは、損得などに関係なく、本人自らの思いが生きる役割になっていること。外的役割とは、社会的に与えられた役割がその方の生きる役割になってる場合と感じている。
例えば、自分のために毎朝ご飯をつくったり、ゴミをすてたり、趣味活動だったりは内的生きる役割であり、夫や妻という事柄は外的生きる役割だ。

高齢者にとって環境の変化は、認知機能低下につながるとよくいわれるが、環境の変化のなかに生きる役割の変化が影響していることを忘れてはいけない。例えば、長年一緒に人生を共にしていた旦那様が他界されたあと、しっかり者の奥様が一気に老け込んだ、認知機能が低下したというのはよく聞く話で、そんな時に訪問リハビリを開始した際は、ただただ身体機能のみにアプローチしただけではなかなか改善見られず、失った外的生きる役割に変わる他の『生きる役割』を一緒に見つけてあげるということが大事であると思うのだ。

もちろんその役割はその一人一人、生きてきた人生史が影響することは言うまではない。

私は田舎に90歳を超えた祖母がいるが、未だに鍬を持って畑にいき、抜かなくてもよさそうな雑草にも日々奮闘している。姿勢は長年の農業生活の影響で常にペコリと腰を90度に曲げ、手の指は節々が太くなりあさっての方向に変形している。一緒に住んでいる母は、それを制することなく、『鍬を取り上げたら一気にボケる。畑ん中で倒れとっても、それも仕方ない。』と言い切る。

学生時代はそんな母の対応を、冷たいやつだなー。なんて思ったりもしたが、今、在宅での仕事を従事するようになり、母の対応、祖母の生活はまさに、『自分らしい暮らしを人生の最期まで』に繋がるのではと感じるようになった。祖母は自由に自分の好きなことをし、好きなものを食べ、愚痴もこぼしながら、近所の噂話を聞きに友人の家にお茶を飲みに行ったりとしている。つまり生きる役割があるのだ。

いま私の前には、歩くことも歩行器使ってヨタヨタで腰も変形し、一度動くと、はーはーと息をあげている方がいる。それでも自分でゴミを捨てに行き、洗濯物を干し、お風呂掃除をしている。いや自分でやりたいとヘルパーの手伝いを断っている。

実はいつ転んでもおかしくない。

しかし、果たして、『危ないから』という理由でその方の生きる役割を奪うことは果たしていいのだろうか。
もちろん転んで骨折でもしてしまっては元も子もない。

私は理学療法士として、
・その方の尊厳と危険の境目を判断する。
・一つ工夫を加えてリスクを軽減するお手伝いをする。
・やりたい!という気持ちを尊重する。

むしろ身体が不自由になっても、年を重ねても『やりたい』という気持ちがあることに尊敬の念を抱く。

さて、目下アラフォーの私。遠いようで近い80歳の壁。そして目の前の40歳の壁。

その壁を乗り越えてきたご利用者様たちにぜひご教授頂こうと『40歳の時どーだった?』と聞く。皆の答えはこうだ!

『もう忘れちゃった』

そう、もしかしたら壁は乗り越えるものではなく、忘れるものなのかもしれない。

2022.09.27

訪問4コマ⑳『Aさんとのリハビリ』

 

 

私が在宅の仕事を始めることになったのは本当に偶然であり、自分が望んだわけではなかった。しかし結果として在宅の仕事にドハマリしている自分を客観的にみると、人生ってなんだかなぁなんて思うわけで。。。

 

この仕事をしてつくづく思うのは、島倉 千代子ではないが「人生いろいろ」だ。そして今私がお手伝いしているご利用者様方は先の戦争を経験し乗り越えて、激動の時代の流れを直に経験してきた方たちだ。
私にも90を超えたばぁちゃんがいるが、こんなにリアルな戦争の話を聞くことはない。
その時代に東京に住んでいたからこそ感じたもの、経験したことがあるのだなーと思う。

ご利用者様が話す戦争の話は、語弊があるかもしれないが「面白い」。それは戦争に対して各々考えてきたことや感じたことが違うだけでなく、その後の人生にやはり影響しているなと思うからだ。

 

 

さて、Aさんのお話だ。
Aさんは当時90代。娘様と二人暮らし。
癌の既往があり自宅で療養生活をしている。いまは特段問題はないが日中は娘様が忙しいため一人で過ごすことが多く、横になっている時間が多いため活動量が少ない。よって活動量を増やすべくリハビリを!と始まった方であった。

Aさんの身体機能は、一言で言ってしまえば「動かないだけで問題はない」やろうと思えばできる。つまりやらないだけ、、、だ。

私の持論でもあるが「心が動かなければ、身体は動かない」。

Aさんはまさに動かすだけの機能は持ち合わせているが、動くための原動力「ココロ」が動かないため活動量が減っている典型的な例であった。

 

 

訪問リハビリに携わっていて思うのは、病気や怪我などで身体機能が低下したご利用者様はリハビリに対しても意識が高い。一方で在宅でのリハビリの依頼は病気が起点ではなくあれあれ!?と身体機能が落ちた方も対象となり、そんな方はリハビリの必要性を感じてない方が多い。

 

 

Aさんも何を提案しても「今日はいいよー」の一点張りであった。

歩くことが1番の運動と考えるが、なかなか外に連れ出せない。まさにどーしましょ?という状態だ。子供騙しのようにアレコレ提案する私。もちろん、認知機能は比較的しっかりしていたAさんは私の子供騙しには乗ってくれない。

 

困った”(-“”-)”ってみた。趣味の話や好きな食べ物の話など。会話にはなるが、ただの会話に過ぎない。

いくつかの会話の中でAさんと戦争の話になった。Aさんは戦時中多くの経験をしてきた。当時の話を懐かしむように、昨日のことのように話す。
その一つ一つが教科書では学べないリアルな話。
外歩きを拒否するAさんとは思えないほど、言葉が溢れてくる。

私はAさんに、「また教えてください!」とお願いしてみた。

するとどうだろう。
次の訪問の時に、Aさんは当時の写真や大事に取っていた戦中の物を私に見せようと準備していたのだ。日頃動かないAさんから考えるとこれはすごいことである。

Aさんにとっては戦争という経験は人生に多大な影響を与え、そして伝えるという作業は「ココロ」を動かすきっかけであったのだ。

そして寂しそうに、いま生きることに執着はなく、多くの友人が一人一人と旅立ったことを話す。

私は思った。

ポッカリと空いた心の隙間を埋める術は今の時代にないのかな?

私はそれからAさんには『外歩きましょう!』と提案せず、本人の気持ちに沿うリハに変更した。

『今日はどうしますか?』と声掛けも変えてみた。

すると外を歩かなければという義務感から解放されたのか(私の憶測だが)たまに外に出るようになった。

それは車椅子を使ったりであったり、杖をついて少し歩いたり、本当にその時その時で様々だ。

しかし、一方でAさんの担当者会議の場面で、娘様からはもっとリハビリの時に外に出して欲しいという要望が聞かれた。少しでも元気でいて欲しい!という家族だからこその意見である。きっとAさんも娘様の気持ちはわかっているのだろう。その気持ちに応える事のできない自分に、情けなさも感じているのか何も言わない。

私はリハビリの現状を伝えた。その時その時のAさんの体調、気持ちに沿って介入していると。
その対応は活動量確保という目的からいえば達成してない。リハとして効果的な介入できているかといえばできてないだろう。

 

娘様からの返答は、、、

『その気にさせるのもプロとしての仕事ではないのですか?』

確かにおっしゃる通りである。

 

 

8月。戦争、終戦の話題がテレビで取り出されるころ。私は改めてAさんとのリハビリと娘様の一言が思い出される。

プロとして、専門職としての責任とともに在宅という環境では人としての対応が必要だというジレンマ。

人生いろいろ、在宅リハビリいろいろ。

私は今日も答えのない質問に頭を悩ませながら、多様性という如何様にも変化する在宅リハビリの面白さにアレコレと構想する。

そんな毎日に「イロイロ」と合いの手を自分で打ってるのである。

2022.08.17

訪問4コマ⑲『わたしは大女優!』

 

皆さんは『変面』という秘技をご存知だろうか?一度はテレビなどで見たことがあるかもしれない。

『変面』変面師が手や扇子を顔にかざした瞬間、瞼譜(お面)が次々と変わっていく。

私は在宅リハビリでは変面のごとくお面を変え、その方に合った対応ができるようになるべく心がけている。

そしてその面を付け替え、令和のオードリーヘップバーンよ!と自分に言い聞かせ、大女優の如くその役になりきるのだ(ちょっとオーバーだが・・)。

私にその気づきを教えてくれたのは、当時訪問看護ステーションで働いていたイケイケ看護師さん。ちょっとそのノリにはついていけない時もあったが、いつもムードメーカーで元気がそこら中からこぼれ落ちてしまうような看護師さんであった。

当時、週に一度ステーションの看護師さんとリハスタッフはカンファレンスを行っていた。カンファレンスは情報共有はもちろんのこと、各専門職で違った目線で見る、感じる利用者様の状態を共有し視野を広げる。そもそも経験の少なかった私は、在宅生活でどこに注目しているか?何の情報を共有すればよいのか?それを学ぶにも非常に勉強になった。

カンファレンスといえども、そんな緊張したものではなく和気あいあい!どちらかというと井戸端会議的な雰囲気で楽しく、そして時にシビアな話も交わされる時間であった。

 

そんな時であった。イケイケ看護師さんはこう言った。

『○○さん、昔懐かしいラジカセを見せてくれたのよ。そしたらさー、私に、得意げに使い方をレクチャーしてくれるのよ。私のことをラジカセも知らない若者と思ってくれちゃったみたい!いくつと思ってるんだろー!笑』

ドハーーーッ!と笑い声が上がる。

『私さぁー、だからラジカセも知らない20代を演じたわよー。そしたら、あの無口な○○さん、まぁ喋るは喋るは、別人みたいだった!』

ダハーーーッ!とまた笑い声が上がる。

その中で私はひとり『なるほど!』いいこと聞いた!と思ったのだ。

 

 

その時私はいつも感じていた。

なんか、ご利用者様の本来の姿を引き出せないなーと。。。

一緒に働く他のスタッフからは、ご利用者様生活の話がよく聞かれる。

在宅生活において私たちリハスタッフは、身体機能や日常生活動作を評価し介入する。もちろん大事であるが、そもそもの『生活』を知らなけれは、それはただの『リハビリのためのリハビリ』になってしまい、生活を営む・人生を生きていくためのリハビリには足りないのだ。

そのためにも「その人らしさ」を引き出す方法はどうすればよいのか?常に思っていたのだ。

 

女優を志した理学療法士の私は、さっそく現場で試してみたのだ。

Aさんは若い時に結核を患い、肺を少し切除。若い時は体力もあり特段生活に苦はなかったが、歳を重ねると共に呼吸が苦しくなり家でも終始酸素をつけて生活していた。元々、しっかりしたお仕事をしていたこと。そして本来の性格もあるのか、なかなかサービスが続かない状況であった。呼吸が苦しいとどうしてもイライラしてしまうことや気持ちふさぎ込んでしまうこともあるようで、介護する奥様もだんだん大変になってきた方だ。

ケアマネジャーからも『いい人なんですが、ちょっと難しい方で・・・』という紹介だった。

ファーストコンタクト!!!

むむっ、確かにガードが硬そうだ。

そしてなかなか生活像が見えてこない。
また呼吸器を患っている方は、とても苦しい思いをした経験からどちらかというとネガティブな発言が多く、実際にどのくらい生活でできているのかがなかなか判断しにくいこともある。

何を質問しても、『苦しい』や『○○するのは無理です』などの発言が多い。

そしてAさんは、病気の影響もありだんだん受け身になってるかな?と私は判断した。

しかし部屋に飾ってある置物や賞状、本棚を見てもきっと能動的に活躍してきた方であろうと私は思ったのだ。

そこで私が描いたシナリオは、理学療法士と利用者という立ち位置ではなく、先生と生徒というシチュエーションを描いたのだ。

リハビリをしながら私はだんだん理学療法士から生徒の役になる。

Aさんからこぼれる一言を瞬時にキャッチし、教えを乞う。

たまにはiPadを取り出し、リハビリそっちのけでAさんから教えてもらう事を一緒に調べたりして盛り上がる。

 

そんなやりとりをしばらくやっていると、、、

ベットサイドに座るだけでゼーハーセーバー言っていたAさんは、私のために先生役をやってくれることで(話すのに夢中で)以前よりも長く座ることができるようになった。

そしてどうだろう。まさかの出来事だったが、歩くのが大変でポータブルトイレを使っていたのに、家の中をキャスター付きの椅子でゴロゴロと座って移動し、トイレまで行くようになってしまった。

酸素のチューブは奥様がうまくさばいてくれる、夫婦の連携作業だ!笑

確かに危ないが、今までのAさんからは考えられないことだ。自分で考え実行したのだ。
それだけでもかなりの進歩だ!

 

そんなある日、ケアマネジャーから私に『Aさんのリハビリうまく行ってますね!先生何したんですか?』と聞かれた。

私は自慢げに答えたのだ。

 

『女優になったんです~!』

 

ぽっかーーん(;’∀’)のケアマネさん!笑

今日も私はその人らしさを引き出すべく女優となる。

リハビリの世界での、主演女優賞ももうすぐかもしれない。。。( ̄ー ̄)

2022.07.06

訪問4コマ⑱『幸福度の高い仕事が!?』

 

先日、ネットの記事で『幸福度の高い仕事』が書いてあった。
トップ5の中になんと、理学療法士が2位となっていた。びっくり!私が理学療法士になったころは『理学療法士ってなぁに?』と聞かれることが多く、大学の卒業旅行では、「○○大学 医学療法士様御一行様』と書かれていたことが今でも印象に残っている。

 

他の幸福度の高い職業との共通点として
・他人に対して「気遣い」をするかどうか。
・他人の人生を「守ったり」より良くできるかどうか。
・他人に「影響を与え」人生を変えたり可能性を広げたりするかどうか。

ということがポイントだそう。

自分の仕事を改めて誇りに思うと共に、『そうか、わたしは日々幸福度を味わいながら仕事をしてるんだなー』と感じた。確かに大変な仕事ではあるが、毎日充実感を味わってるのもウソではない。

 

さて、私の戯言を読んでいただいている皆様は今の仕事に就くにあたり何か理由やきっかけはあったのだろうか?

理学療法士や看護師など医療、福祉系の仕事を目指す方は、「祖父がリハビリをしているのを見学して理学療法士さんに憧れました」とか「○○というドラマを見て看護師を目指しました」とかそういう理由を聞く。

私はどうだったかと言うと、超健康優良児であった私は病院への関わりはなく、大学に入るまで「内科」と「外科」の違いも分からない世間知らず。また、幸いなことに祖父母も病気知らずのタフなヤローだったためリハビリという言葉自体も知らなかった。

そんな私も年頃をむかえ、高校でいわゆる進路を決めなければならない時期になった。将来何になりたい!なんて全くわからない。なのに進路を決めろって無理じゃねぇ?と思ってた17の夜。(バイクは盗んだことはない!笑)たまたま理学療法士という仕事を紹介したのが母であり、私が描く将来の条件としてイメージしていた

・体を動かす仕事(じっとしてられない性格のため)
・日々変化のある仕事(飽きやすい性格のため)
・誰かに感謝される仕事(ありがとうの一言でルンルン🎶になる性格のため)

にマッチしたため、理学療法士を目指し今に至る。

 

大学は憧れのキャンパスライフというよりも職業訓練校と言った方が適しているかもしれない。

日々理学療法士になるために勉強や実習を重ね、他の学部の人たちのキャンパスライフを指を咥えいいなーなんて思いもした。今となっては4年間でこの仕事の奥深さを学ぼうなんて、時間が足りないよな。。と思うくらいだ。

国家試験をなんとか突破した私は、病院に就職するやいなや、描いていた理学療法士とは違う自分の実力の無さに情けなくなり嫌になる日々を送った。

ここまでの話だと、「全然、幸福度低くない?」と感じてしまうだろう。確かにその頃の私は仕事に幸福度なんて感じてなかったし、先にあげた「幸福度の高い共通点」は仕事の中で見出してなかった。

 

では、何が変わったのか?どんな経験があったのか?

 

それは多くの患者様、利用者様からの言葉や行動、人生から学んだことが多かった。

・病院を退院して数ヶ月、さらに元気な姿を見せにわざわざやってきてくれた患者様。
・なんとか家に退院するまで辿り着いたのに、たった3日でまた入院となったガン患者様。
・私よりも何歳も年上の大人が、病気を患い葛藤している姿をそばで見た時。
・目標を達成してイキイキした顔した利用者様!
・難病を患い落ちていく自分の身体。リハビリをしながら、静かに涙を流している利用者様の強さや弱さを感じた時。
・「ベストポジションバー」を1本自宅に導入するのに大喧嘩した利用者様との思い出。
・介護する家族の思いに触れた時。などなど。

思い出せば沢山、本当に沢山の経験をした。そう、私自身がこの仕事を通して得たもの、感じたもの、変わったことが本当に多かったのだ。

そして今日もこれからも、きっとまた得ることが多く、私の人生が変わっていくだろう。

改めて思う。幸福度の高い仕事とはと。

私は思う。他人に影響を与えるだけではなく、きっと自分自身も影響を与えられることが私の幸福度なのかなと。

 

 

私は、ある方から
『○○の○○は美味しいから食べてみて。』といわれ食べてみた。

美味しい。

私の人生観は変わった。

たったそんなやりとりを仕事の中であるだけで幸せを感じる私は、かなりの単細胞なのかもしれない。

 

2022.06.15

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